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ブレゲ

偉人もご愛用する高級時計ブレゲ

時計の歴史を200年早めたと称されるアブラアン-ルイ・ブレゲは、1780年にプラチナ製の分銅(重り)を搭載した自動巻き懐中時計「ペルペチュエル」、1790年には現代のインカブロックをはじめとする耐衝撃吸収機構の元祖といえる「パラシュート」機構を開発した。さらにリピーターウォッチ向けの数々のソヌリ機構を開発したほか、閏年の調整を自動で行う「パーペチュアルカレンダー(永久カレンダー)」、姿勢差による重力の影響を相殺する「トゥールビヨン」も開発している。
1810年には、ナポリ王妃カロリーヌ・ミュラのために史上初の腕時計とされる「ブレゲ・No.2639」を開発した。これら多くの革新的な発明により、アブラアン-ルイ・ブレゲは「時計の歴史を200年早めた」と称されました。

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マリーアントワネットが愛した時計

みなさんはマリーアントワネットをご存じでしょうか?「学校の勉強でマリーアントワネットの名前くらいは聞いたことがある。」、「マリーアントワネットって悪女なんでしょ?」、「マリーアントワネットって贅沢をしすぎて国を追い詰めた悪い人?」などなど、皆さんそれぞれ様々な意見や想いがあると思います。この記事では、マリーアントワネットと彼女を取り巻いていた世界、そしてマリーアントワネットが愛したと言われる時計の話をさせて頂きます。

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ブレゲの伝説の時計マリー・アントワネットの価値・価格

ブレゲの創始者アブラアン・ルイ・ブレゲは時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチと称される天才技師でした。トゥールビヨンや永久カレンダー、自動巻き機構などは彼の功績なしには誕生しなかったといわれています。偉大な創設者へのリスペクトはブレゲ社の作る時計に表れており、初代ブレゲの好んだギョーシエ彫りやブレゲ数字などが現在も使われています。そのブレゲの歴史の中で最も高価とされるのが、マリー・アントワネットがオーダーした懐中時計の「NO.160」です。
ブレゲは宮廷時計師として活躍しており、当時の可能な限りの技術を駆使し、できるだけゴールドを使って再供給の時計を作るよう言い渡されました。時間と費用の制約は一切課されなかったため、実際に完成したのはマリー・アントワネットの死後から34年経った後だったのです。注文を受けてから完成まで44年かかり、完成の4年前には創立者のブレゲもこの世を去っています。1983年にエルサレムの美術館から盗まれて以降は発見されず、2008年に復刻版である「No.1160」が発表されました。推定価格は、なんと日本円で50億円もの価値があると報道されたのです。「No.1160」はマリー・アントワネットの名を冠している伝説の時計です。

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自分へのご褒美「ブレゲ」

5大時計とも呼ばれる「ブレゲ」高い技術力をもち、美術的にも優れているメーカーです。長い歴史を持っており、世界的にも愛され続けている時計です。製造本数も決められているので、モデルによってはなかなか手に入らない場合もあります。この記事では、ブレゲの魅力そして購入場所などを簡単にご紹介いたします。

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高級腕時計はなぜスイスで生まれるのか?

理由の一つとして、スイスの環境があります。スイスは起伏に富んだ土地です。比較的穏やかな気候で、特に南部地域は地中海の影響により、より穏やかな気候と共に、浮き沈みのない安定した降水量を記録しています。時計は精密機械です。今でこそ様々な設備投資をすることにより環境を整えることが可能ですが、当時はエアコン一つもない状況です。開発環境が高温多湿では、部品の状態が劣化してしまう恐れがありますし、作業する職人も技術を磨くことに専念できません。安定したスイスの気候は時計職人にとっても、時計にとっても最適だったのです。
また、スイスの清らかな水は、部品の洗浄・研磨にも使われ、当時は水運という運河を利用した輸送手段も発展していたことから、当時の時計メーカーはスイスへと拠点を移していきました。もちろん、もともとスイスの時計技術が高く、その技術の吸収が目的という側面もあったでしょう。
様々な理由が重なった結果、時代が進むにつれ、スイスでは時計技術が集結・集約され、さらに研鑚されていったのです。時計の歴史が刻み込まれ、確かな伝統技術があるからこそ、スイスはそれに見合った品質の高級腕時計を開発できるようになりました。

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