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ロシア帝国ができた時代、ロマノフ王朝とはなにか

ロシア帝国ができた時代、ロマノフ王朝とはなにか

2022年現在、ウクライナへの軍事介入により、世界情勢を混乱させているロシアですが、以前はソビエト連邦とよばれていた事をご存知の方は多いのではないでしょうか。しかし、それ以前となるとあまりよく知らないという方が多いと思います。今回はロシア帝国ができた時代の王朝であるロマノフ王朝についてご紹介します。

ロマノフ王朝とは?

ロマノフ王朝は1613年から1917年まで現在のロシアに存在していた王朝です。ロマノフ王朝は、ヨーロッパの国際政治を左右するほどの大帝国にもかかわらず、1861年までという長い間、農奴制を維持し、農奴解放後に革命運動が激化、最終的にロシア革命により滅亡したロシア史上最後の王朝です。

ロマノフ王朝の歴史

ロマノフ王朝の成立

1613年の全国会議でロシアの貴族たちは、16歳のミハイル=ロマノフが皇帝(ツァーリ)に選出されました。これによってモスクワを首都とするロシア国家、ロマノフ王朝が成立し、その後300年にもわたる統治が続きました。

ロマノフ王朝の発展

1648年、現在のウクライナにてポーランド王国の支配を受けていた、武装遊牧民(コサック)のボグダン・フメリニツキーが反乱を起こし、ロマノフ王朝に支援を要請しました。それ以来、ウクライナのコサックはロマノフ王朝との関係を強め、1654年にロマノフ王朝の皇帝に臣従することとなりました。ウクライナを巡るロシアとポーランド王国の戦争は、1667年に講和となり、その結果、ロシアはウクライナ(キエフ公国)の東半分とキエフ市を奪還し、領土を西方に拡張しました。

1670年には農民反乱のステンカ・ラージンの反乱を鎮圧し、農奴制の強化に成功、また、徐々に西欧的な国家機構の整備を進め、貴族世襲制の国から官僚制・常備軍に支えられた絶対主義国家へと変革しました。

ロシア帝国の誕生

国内の厳しい権力闘争に勝利したピョートル1世は、1712年に新都ペテルブルクを建設しました。その後、スウェーデンとの北方戦争に勝利してバルト海を押さえ、強国、バルト帝国をつくりあげました。このころから「ロシア」が正式な国号になり、「ロシア帝国」としての実体を成立させました。

また、この時期にロシア専制君主体制を意味するツァーリズムが完成したといえます。18世紀後半になると、西欧で産業革命が起こり、資本主義経済が急速に発展していきました。それに対して、ロシアは改革を進めたものの、農奴制に依存した影響を受けて、改革の波に置いてかれてしまいます。

ロマノフ王朝の崩壊

19世紀のロマノフ王朝はツァーリズムを維持しながら社会改革や近代化を図ることが課題となりました。また、それ以外にバルカン半島やイラン方面への南下政策を積極的に展開していました。しかし、市民革命後の国民国家の形成と産業革命を進めた西欧諸国に対し、ロシアは絶対王政と封建制を維持していたため産業の近代化が遅れてしまい、国民生活を圧迫していきました。

そのため知識人を中心として、革命の機運が高まり、社会主義思想が形成されていきました。帝国主義国として日本と衝突した日露戦争の際、1905年に第1次ロシア革命、第一次世界大戦中の第2次ロシア革命が起こり、これらはいずれも民衆の暴動から始まりました。その後、1917年に世界最初の社会主義政権ソヴィエト=ロシアが誕生しました。その後1918年5月、最後の皇帝ニコライ2世が処刑され、ロマノフ王朝は崩壊しました。

ロマノフ王朝と日本との関係

1991年、ロシアの新聞社イズヴェスチヤ紙で『日本に持ち込まれたロマノフ王朝の財宝をロシアに返還するように』という驚きの報道がされました。また、日本からの北方領土返還要求に対し、ロシアが『先にロマノフ王朝の金塊を返還せよ』と要求を出してきたのです。適当な事を言って交渉をグダつかせる目的の可能性もありますが、日本はこれに対し『金塊は返還済みである』と回答しています。つまり、返還済みなのかどうかは置いておいて、一時的にロマノフ王朝の財宝が日本に渡っていた事は事実のようです。ではなぜ日本にロマノフ王朝の財宝があるのでしょうか。

上述の通りロシア革命でニコライ2世が処刑され、ロマノフ王朝は崩壊しました。その際、多くの財宝は行方知らずになったといわれています。ロマノフ王朝崩壊の直前、日本とロシアは1904年に日露戦争を起こしています。また、ロシアの内戦時、日本はシベリアに出兵して皇帝側の味方をしており、皇帝側の旗色が悪くなると万が一の為、ロマノフは日本の満州に一部の財産を移動させたそうです。これは日本側の史料にも残っています。このように、日本とロシアはいくつかの関わりがあり、金塊を得るチャンスは何度かあったものと思われます。その際に一部の財宝が日本に渡っていたと考えるのが自然かもしれません。

まとめ

今回はロシアのロマノフ王朝についてご紹介しました。日本に渡ってきた財宝がすべて変換されているのか、はたまた実は日本のどこかに残っているのかはわかりませんが、もしも日本にまだ存在しているなら、見てみたいものですね。

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