白黒絵画界の巨匠・棟方志功とは
1903年(明治36年)、白黒絵画の巨匠として名高い棟方志功(むなかた・しこう)は、刀鍛冶職人である父・棟方幸吉と母・さだの三男として生まれました。少年時代にゴッホの絵画に感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指したと言われています。
1924年(大正13年)、東京へ上京しました。その時に様々な展示会などに作品を持ち込むも落選が続いていました。1928年(昭和3年)、第9回帝展に「雑園(油絵)」を出品し、ここで初めて入選します。
1936年(昭和11年)、国画展に出品の「大和し美し」が出世作となり、これを機に柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する様になり、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすことになりました。
代表作
棟方の代表作の1つ、「二菩薩釈迦十大弟子」。中央に十大弟子、六曲一双屏風にするため右に文殊、左に普賢の二菩薩を追加して仕立てた作品です。東京国立博物館に展示されていた興福寺の十大弟子、特に須菩提から着想を得て制作されました。
この時の棟方には十大弟子について深い知識は無く、完成後に資料を見てそれぞれ名付けたそう。そのため、従来の図様とは無縁であり、印相なども正確ではありません。しかし、仏に近づこうと苦悩・葛藤し、吠える者すらいる弟子たちの姿を、力強く生命力溢れて表現しており、彼らの人間性や精神性までも感じ取れます。
棟方自身は「下絵も描かず、版木にぶっつけに一気呵成に約一週間で彫り上げた。(『板画の道』)」と語っています。確かに彫りに要した時間は1週間程度なのは確かですが、実際には着想を得てから約1年半の間に熟考し、数百枚もの手慣らしが残されており、極めて入念に制作されたことが分かります。
他には先述の「大和し美し」や、「御鷹揚げの妃々達々」「東海道棟方板画」「大世界の柵・坤(こん)―人類より神々へ―(世界最大の木版画ともいわれる)」などがあります。
どんな人物だったのか
棟方は大変な近視のために眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫ったそうです。第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれたことから、「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」「我建超世願」「必至無上道」など仏を題材にした作品が特に有名です。
「自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方、自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」と言っています。
また、大のねぶた好きであり作品の題材としても描いています。中には歓喜する自身の姿を描き込んだものもあり、生前ねぶた祭りに跳人として参加している映像や写真も現存します。
まとめ
棟方志功の作品は、買取市場でも需要がかなり高く、高価買取の対象になります。棟方作品以外の絵画でも買取行えますのでまずは、全国400店舗ある大吉の近くの店舗にて査定をしてみてはいかがでしょうか?ご来店お待ちしております。