ニクソンショックは2回ある?
ニクソンショックは実は2回あります。ニクソン大統領の中国訪問に始まる第1次ニクソンショックと、金・ドル交換停止を伴う第2次ニクソンショックです。今回は第2次ニクソンショックについてのみ解説しています。
ニクソンショックの原因
1950年代までアメリカの国際収支は一貫した黒字でしたが、60年代移行、徐々に黒字幅が縮小し始めます。理由の1つは欧州諸国によるアメリカへの輸出増加です。第二次大戦以後、アメリカ側は西欧諸国がソ連の支配下に入らないよう、「マーシャル・プラン」による支援を行いました。ヨーロッパ諸国はアメリカから総額140億ドルの融資を受け徐々に復興。当初はアメリカからの輸入額が多かったのですが、逆に輸出額を増やしていきました。金・ドル本位制のもと輸出入の決済はすべてドルで行われるので、市場にはドルが溢れ、諸外国も多額のドルを保有するようになりました。
また、アメリカの黒字幅が下落したもう1つの理由は、ベトナム戦争の長期化による財政赤字です。1965年ごろからベトナムへの軍事介入を強化したアメリカの軍事費は大幅に拡大。1967年には年間200億ドルを超え、国防費の半分を占めるほどになりました。
この結果、ますます多くのドルが世界へと拡散。輸入の増加と軍事費の増加でアメリカからドルが流出する一方、他国はドル準備高を増やしていきます。そして市場には徐々に不安が広がっていきました。その結果「このままドルが過剰に供給されれば、金と交換できなくなるのでは?なら今のうちに交換しておこう。」という考えが広まり、アメリカの金保有高は1949年に245億ドルありましたが、1970年に111億ドルまで減少してしまったのです。
ニクソンショックが世界に与えた影響は?「ブレトンウッズ体制」と「変動相場制」とは
アメリカだけでなく世界経済に大きな影響を与えたニクソンショック。第二次世界大戦後、アメリカは圧倒的な経済力で金を備蓄しました。これを背景に「金・ドル本位制」を実施します。「金・ドル本位制」とは、ドルを金とならぶ国際通貨の基軸にするというもの。それまでは金のみが国際通貨として認められていましたが、ドルが基軸となる体制が構築されたのです。
これにより、ドルの価値は金によって保証されるようになりました。各国は貿易時に、金に裏付けされたドルを使うようになり、ドルは「基軸通貨」と呼ばれるようになります。さらに、為替相場を安定させるため、各国の通貨はドルとの「固定為替相場」で価値が定められました。その結果、安定した自由貿易が実現することになります。これらの方針は1944年に締結されたブレトンウッズ協定で定められ、この協定にもとづく貿易体制は「ブレトンウッズ体制」と呼ばれています。
「ブレトンウッズ体制」は、第二次世界大戦後の国際貿易の基幹となりましたが、前述したとおり1960年代になると、アメリカの経済力が後退したことで状況が変わります。アメリカが貿易赤字になると、ドルの国外流出にともない、金も流出。ドルの価値を担保していた金が不足して、基軸通貨としてのドルの信頼性が揺らぐこととなるのです。そして、ニクソン大統領が「金・ドル交換停止」を発表したことで、ドルの「基軸通貨」としての役割は機能不全に。「ブレトンウッズ体制」は崩壊し、世界中の為替が混乱状態に陥ることとなりました。
1971年、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、オランダ、ベルギー、スウェーデンの10ヶ国は、悪影響の拡大を防ぐために「スミソニアン協定」を締結。固定為替相場の維持を試みますが、混乱は沈静化せず断念し、変動為替相場への移行を余儀なくされます。日本も1973年に変動為替相場へと移行。1ドル=360円で固定されていた為替レートは急激に円高に向かい、日本の貿易に影響を及ぼしました。さらに1973年に「第一次オイルショック」が発生し、1974年の経済成長率は戦後初めてマイナスに。こうして日本の高度経済成長期は終わりを告げるのです。
まとめ
ニクソンショックを簡単にまとめると以下のとおりである。
・ニクソン・ショックとは、1971年に金とアメリカドルの兌換停止が発表されたこと(ドル・ショック)
・ニクソン・ショック以降アメリカドルは切り下げられ、日本は円高により生産設備を海外移転せざるをえなくなった
・ニクソン・ショックには、ニクソン大統領の対中外交政策の転換という意味もある
今回はニクソンショックについて簡単に解説しました。もしも興味が湧きましたら各国の影響やその後について詳しく調べてみてください。