有田焼を世界に広めた柿右衛門窯
柿右衛門窯は、質の良い陶土を求め、現在の佐賀県西松浦郡有田町に移住した酒井田円西と、息子である喜三右衛門によって始まりました。当時は、陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたのですが、17世紀前半に息子である喜三右衛門が赤絵磁器の焼成に成功したことから、柿右衛門を名乗り始めたと言われています。その後、柔らかくて温かみのある乳白色の素地に赤を焼き付けるという柿右衛門様式を確立させました。
余白を十分に残し、明るく繊細で絵画のような構図を特徴とした色絵磁器は、オランダ東インド会社(VOC)の手により、ヨーロッパの国々に大量に運ばれて行き、柿右衛門様式の磁器は、磁器を輸出し始めた初期の花形として海外で高く評価されたと言われています。時のヨーロッパの王侯貴族たちは初めて目にするその華麗な色絵磁器に魅了され、自分たちの宮殿や邸宅を飾るため財を傾けてまでも競って手に入れたそうです。
その後、高い技術を要する濁手の作品は一旦中絶してしまうものの十二代柿右衛門とその息子である十三代柿右衛門が、家に伝わる江戸時代の古文書を基に長い、長い苦労の後にようやくこれを復元しました。1971年にはその製陶技術は、国の重要無形文化財の総合指定を受け、再び高く評価されるようになります。
現在、十五代目を迎える十五代柿右衛門もその技術を受け継ぎ、新しいデザインと、濁手の地肌を武器に新しい世界を切り開いていっています。
柿右衛門写し
柿右衛門写しは、ドイツのマイセンをはじめとして、イギリスのチェルシー窯やボウ窯、フランスのシャンティ窯など各地で行われました。その中でも、マイセンでは他の窯に先駆けて質の高い柿右衛門写しを作り、本物の柿右衛門同様に人気を博したことから、各地で作られた“柿右衛門写し”には、実際に日本の有田で作られた柿右衛門のコピーではなく、マイセンで作られた“柿右衛門写し”作品を手本としているものが少なくありません。
その後、柿右衛門写しからはなれて独自のデザインを展開していった後でさえも、マイセンはヨーロッパの他の窯を先導する役割を担い、他の窯はマイセンの写しを行いました。たとえば、ロイヤルコペンハーゲンの定番デザイン、“ブルーフルーテッド”や、ヘレンドの“インドの華”などのオリジナルは実はマイセンなのです。
柿右衛門作品の買取相場はどれくらい?
世界的に高く評価されている柿右衛門作品ですが、骨董品買取市場における買取相場はどれくらいになるでしょうか。実は、柿右衛門作品を含む陶芸作品はそれぞれが一点物であるため、「柿右衛門なら○○円」というように買取相場を一概に提示するのは難しいものがあります。とはいえ「人気作家の作品は高く売れやすいため、買取価格も高くなりやすい」といったような大まかな傾向はあります。世界的に人気の高い柿右衛門作品は買取市場においても需要が高く、買取価格が高くなりやすい作家だと言えるでしょう。
たとえば、「濁手花文花瓶」や「色絵花鳥文大深鉢」といった人気作品で状態が良ければ、100万円前後の買取価格がつくことも珍しくありません。ただし、陶芸作品の買取価格は作品の保存状態に大きく左右されます。作品にヒビや割れ、デザインの擦れなどがある場合には、買取価格は減額されてしまうでしょう。
また、現代の陶芸に関しては共箱(ともばこ)が価値を支える重要な役割を担っています。現存作家なら書き直してもらうことも可能ですが、物故作家は不可能です。共箱を閉まっている方は売却するまでに探すことをおススメします。共箱が無いだけで通常の価格から著しく下がります。
ご紹介した買取相場はあくまで参考程度と捉えてください。
まとめ
現在も人気が続く柿右衛門作品、「買取大吉」ではこのような骨董品の買取も強化しています。もしも自宅の倉庫などに眠っている骨董品がございましたら、ぜひ一度ご相談ください。もしかするととんでもない金額がつくかもしれませんよ。