モーリス・ド・ヴラマンク
ヴラマンクは、1876年にパリのレアールで父がバイオリンの教師、母がピアノの教師という音楽教師の子として誕生しました。幼少の頃に父からバイオリンを教わっており絵は描いておらず、絵を描き始めたのは10代後半からでした。
そんなヴラマンクは16歳の時に家を出てシャトーに住み、1893年にイル=ド・シャトウでアンリ・リガロンという名前の画家から絵を学びました。18歳の時に結婚し、自転車選手をしたり、オーケストラでバイオリンを弾いたりして生計を立てていました。
人生のターニングポイントとなったのは、兵役の任務を終え1900年にシャトゥー出身の画家”アンドレ・ドラン”と偶然知り合い意気投合し、共同でアトリエを構えました。
その翌年の1901年には、パリのベルネーム・ジュヌ画廊で開かれていたゴッホ展に行き、そこでドランを通じて”アンリ・マティス”に紹介されました。ヴラマンクはアンドレ・ドランやアンリ・マティスらとともにフォーヴィスム運動を率いた重要な画家の一人で後期印象派です。
特にゴッホの影響が色濃く見られる画風が特徴で1905年に開催され、フォーヴィスム運動のきっかけにもなった展示サロン・ドートンヌにも作品を展示しています。
代表作の一つの“赤い木のある風景”
1906年に制作された”赤い木のある風景”はヴラマンクの代表作品のうちの一つです。
この頃は印象派のゴッホから大きな影響を受けており、物理的な世界を動きの感覚をもって表現する絵画を試み始め、この作品についても「私は衝動的に青の上に赤を使い、私が描いているものについて考えずに、私のブラシで気持ちを表現したかった」と述べたそうです。
また、この作品はフランスのイル=ド=フランス地域圏に位置するブージヴァルに直立する赤い木の幹を描いたものなのですが、垂直さや色にこだわることなく、感覚的に描いています。キャンバスは絵の具で埋め尽くされており、余白は見当たらないのも特徴的です。
まとめ
荒々しい筆致や大胆な配色が特徴の「フォーヴィスム」の作家として知られるモーリス・ド・ヴラマンクは、第一次世界大戦後にパリ郊外にて、厚塗りの情感溢れる大きな筆致で対象を描き出しました。
そののちパリから100km以上離れた小村リュエイユ=ラ=ガドリエールに住まいを移し、抑制された色調や、スピード感あるタッチで田園風景や妻が活けた花束などを描き続けたフォーヴィスム」で一世を風靡した画家です。
もし、彼の作品に触れる機会があれば、その魅力をぜひ堪能してください。