美人画家の伝統を継承した日本画壇の最高峰の画家
白鳥 映雪(1912年 - 2007年)。昭和から平成時代に活躍した日本画家です。美人画で一世を風靡した伊東深水に師事し、崇高な女性の美しさを探求する画風で、繊細な描写で気品あふれる秀作を数多く生み出しました。そんな、天才と謳われた白鳥映雪ですが数々の苦難を乗り越えた波乱の人生であったと言います。生まれてすぐに母と死別してしまい、伊東深水の描く美人画を見た瞬間、母親の面影を感じとり、その感動をキッカケに画家になることを志します。
自らが画家になるのであれば尊敬する人間に付きたいと思う白鳥映雪は、紹介で伊東深水の門下になり美人画を始めとする日本画に研究、研磨を重ねます。その才能は瞬く間に開花し、門下になった2年後の1943年には「生家」が文展で入選を果たします。その後の日展でも特選や白寿賞などを受賞し名実ともに名を馳せて行きます。この受賞年に師である伊東深水や児玉希望などと、美術研究団体である日月社の立ち上げにも関わっています。
その後、尼僧侶や能楽などの日本独自の美人画を独特の筆遣いとタッチで描き、白鳥映雪の美人画として完全に芸術様式を確立します。それからの白鳥映雪は内閣総理大臣賞をはじめ、数々の名誉ある賞を数多く受賞していくことになります。白鳥映雪の描く美人画の「葵の上」は般若の面を被る幽玄な雰囲気の中で佇む作品ですが、その綿密な描写に柔らかく浮き立つ色気、さらには静けさを感じる艶やかさなど、見る者を釘付けにするような溜め息が漏れる作品です。
順風満帆に移る白鳥映雪の人生ですが、90歳の時に脳梗塞で倒れ、画家の命である右手が不随になります。しかし、左手で作品を描き、介護を受けながらもその残された力で自らの芸術を貫くその姿に多くの人間が感動し、刺激を与えます。人生を芸術に売った、と言っても過言では無い美しい人生を歩んだ白鳥映雪。彼の生き様は今を生きる芸術家だけでなく、一般の方々にも勇気と感動を与えてくれたのです。
白鳥映雪の来歴
【経歴】
1912年 長野県北佐久郡大里村(現・小諸市)に生まれる(本名:九寿男)
1932年 伊東深水の門下生となる
1943年 「生家」で新文展入選
1946年 この年から四年間、深水と小諸で行動を供にする
1950年 「立秋」で日本美術展覧会の特選と白寿賞を受賞、伊東深水・児玉希望・奥田元宋等と日月社を結成
1957年 「ボンゴ」で2回目の日展特選
1964年 日本橋三越で個展を開催
1986年 「寂照」で日展内閣総理大臣賞
1987年 銀座松屋でデッサン展を開催
1989年 長野オリンピックIOC会長に長野市の要請で絵画を贈呈
1994年 「菊慈童」で恩賜賞と日本芸術院賞をそれぞれ受賞する
1995年 勲四等旭日小綬章受章
1997年 日本芸術院会員となる
1998年 日展顧問に就任、「羽衣」が首相官邸に飾られる
1998年 小諸市名誉市民称号受贈
2001年 「菊慈童」「序曲」が衆議院議長公邸に飾られる
2002年 長野放送より「幻の母を心に秘めて-日本画家白鳥映雪90歳」が放映
2003年 日本美術界への多大な功績が認められ、勲三等瑞宝章を受賞
2004年 NHKにて白鳥映雪の特集番組「命ある限り画家白鳥映雪」が全国放映
2007年6月15日 急性心不全のため死去(享年94)
作品の価値
白鳥映雪の作品は、画集画が20.000~30.000円前後で取引されています。日本画は真作で20.000円~80.000円で取引されています。作品のサイズは6号~20号でした。20号のサイズで良質な作品が1.200.000円で売り出されていました。テレビ東京系列の「開運!なんでも鑑定団」では1.000.000円の評価となっており、年々評価が高くなっていることからお持ち込み頂いた場合には驚愕の値段が出る可能性もあるかもしれません。
まとめ
「買取大吉」では白鳥映雪作品のお買取に力を入れております。小さな作品から大きな作品まで1つ1つしっかりと専門家が査定をいたしますので、もしも手放す予定がある場合は是非1度ご相談だけでもお気軽にしてみてくださいね。