水戸黄門が印籠を出すと悪がひざまずくのはいったいなぜなのか?
これに関しては誤解をされている方がいらっしゃる可能性があります。あの水戸黄門の持っている印籠そのものに効果があり、悪人たちがひれ伏している訳ではありません。当時の時代背景から考えても印籠を持ち歩いていた方は多々いたと推測します。
それがなぜかは後述しますので割愛しますが、つまりは印籠という物自体が物珍しかったり貴重な物であったという事ではありません。
答えはいたって簡単です。水戸黄門は水戸光圀と称されていますが、本名は徳川光圀が正しいのです。その徳川光圀が持ち歩いていた印籠には当然徳川家の家紋が入っていた訳です。悪人たちは徳川家の家紋にひれ伏したという事になります。
正体不明な人物であり続け、最後に正体を明かすというドラマ展開になっています。現代で例えるなら正体を明かさず、最後に名刺を出されるのと一緒ですね。
印籠を持ち歩いていたのはなぜなのか?
印籠が小型の入れ物である事は前途しました。その小型の入れ物の中身が重要なのです。実はその中に貴重品である薬を数種類携行できる頑丈な積み重ねの箱型容器として使われていたのです。物が豊かになった現代では様々な便利な商品があり、薬を持ち歩く際にも多くの手段が選べます。
しかし当時、携帯所持出来て貴重なものを無くさぬように入れておくものが今ほど豊富に選べる時代ではなかったのです。故に発明されたのが印籠であったという事です。
今のようにいたる所に医者があり、薬局がある世の中ではないので旅や出先で具合の悪くなった時には自分で持ち歩いている薬で処方して治していました。それを考えると確かに貴重品の中の貴重品ですね。
印籠とはいつごろから使用されていたのか?
ここまで読んで頂けた方は印籠がいかに大切なものであったかは理解して頂けたかと思います。では印籠が使われ始めたのはいつごろからなのでしょうか。時代は戦国時代にまで遡ります。戦国の世では日本という国を統一しようと多くの大名たちが戦を繰り返していました。
今のように飛行機はもちろん、電車や車も無い時代。何日もかけて人力で移動していたという想像しただけで物凄い時代です。
よって、一旦自宅を出て戦場へと向かうとなると何日後に帰って来られるかも分からないとう状況でした。行く先々や道中に医者がいるとも限りません。ですので薬を携帯する必要があり、その薬をなくさぬようにしまっておく物が必要であったのです。
まとめ
印籠が漆器の一つであり、紙製、木製または金属製である事は始めにお伝えしましたが、蒔絵、螺鈿、象嵌、切金などが施された装飾品であるという観点から、その芸術品として今では骨董価値のある品となっています。
実際、細かい彫りによって景色や動植物が描かれたものが多く、オシャレアイテムの一つでもあったのです。骨董価値という観点から印籠はお買取り可能な品です。代々引き継いでいる印籠があり、ただしまってあるだけという状態であればご売却を検討されてはいかがでしょうか。