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プリアモスの財宝とシュリーマン

プリアモスの財宝とシュリーマン

プリモアスの宝は、考古学者ハインリヒ・シュリーマンにより、1873年5月31日に古代トロイアの遺跡から発見された財宝のことです。黄金の装飾品やその他の工芸品からなる遺物であります。シュリーマンはこのプリモアスの宝は、神話的なプリアモス王時代のものと考えていましたが、現在では年代的に誤りがあるのではないかと考えられています。プリモアスの宝とシュリーマンについて詳しくお話していきます。

プリモアスの宝って?

冒頭でも述べましたが、シュリーマンはプリアモス王時代のものと考えていました。この王の名前からプリモアスの財宝と名付けられたのです。この財宝は”トロイア遺跡”から持ち帰ったこともあり、幻とされていた”トロイア文明”が実際に存在していたことが判明し、考古学の中でもかなりの話題になりました。また、出土品の中には、盾、平らな大釜、銅の短剣と槍の先や水差し、銀の花瓶が3つとナイフの刃、フラスコ、ゴブレット、小さな金の鍋が2つあり、最も大きな出土品の銀の花瓶の中には、なんと、ティアラが2つ、細いヘッドバンド、ペンダントが4つ、ブレスレットが6つ、イヤリングは56個、そして小さなボタン8,750個と指輪を含む金の装飾品が入っていたそうです。しかしこの発見には多くの疑惑が指摘されているのです。後程シュリーマンについてご説明するのですが、彼には虚言癖があり、他の遺物や贋作を混ぜていた可能性があるからです。そして、1881年に彼はこの財宝をドイツ帝国に寄付しましたが、その中でも特に重要なものが第二次世界大戦の終わりにソ連によってベルリンから持ち去られてしまいました。現在は半数以上がモスクワのプーシキン美術館に所蔵されており、ベルリンではオリジナルの複製が展示されています。

トロイア文明と歴史的発見

そもそもプリモアスの財宝が発見された”トロイア遺跡”と”トロイア文明”とはなんのか。そして何故”トロイア文明”が幻とされていたのかをご説明します。まず、トロイア遺跡はトルコ共和国のイリオスにある世界遺産です。ホメロスの叙事詩”イリアス”に伝えられるギリシア神話では、英雄時代に”トロイア戦争”に登場する古代都市で”トロイの木馬”が有名です。そして幻とされていた理由ですが、ホメロスを中心とした古代ギリシアの詩人たちの豊かな想像力によって生み出された創作上の都市と考えられていた為です。今でいう、ハリーポッターに出てくるホグワーツ魔法魔術学校や、天空の城ラピュタなどのような存在だったのです。それがシュリーマンの強い熱意により実現された発掘調査によって、現在のトルコ共和国のイリオス…アナトリア地方北西部のエーゲ海沿岸に位置するヒッサリクの丘にて、遺跡が発掘されました。この遺跡は複数の層によって構成される大規模な遺跡であり、遺跡の一部から古代ギリシアの宮殿の遺構が発見されることになりました。これにより、この場所にかつてホメロスの詩によって詠われた”古代都市トロイア”を中心とする”トロイア文明”と呼ばれる古代文明が存在していたということが歴史学的に確証されることになったのです。まさに歴史的発見でした。

考古学者シュリーマンと疑惑

プリモアスの財宝の発見により、歴史的発見を果たしたシュリーマンとは一体どんな人物であり、どのような疑惑があるのか気になりますよね。まず、シュリーマンはドイツの考古学者で実業家です。ギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアを発掘した人物であり、実は1865年に日本にも訪れています。その際に八王子紀行などを記したそうです。トロイア遺跡の他にもミケーネ遺跡、ティリンス遺跡を発見しており、これらの発見により考古学上、大きな成果をあげたと言われています。考古学者として素晴らしい成果を上げたシュリーマンですが、実は彼はかなりのホラ吹き…虚言癖があったようです。彼は伝記として採掘していた状況を残しているのですが、その記述の中にもいくつか嘘のものが書き記されているのです。

例えばトルコでプリモアスの財宝を見つけた際に、妻ソフィアが財宝を運び出す役目を担ったと記しているそうだが、実際にはソフィアはアテネに滞在していたことが分かっています。他にも様々な細い嘘が伝記の中に書き記されていたり、発掘の際にも本来であれば、オスマン帝国当局から発掘の許可をもらう必要があったのだが、押収及び出土品の分割を恐れた彼は、発見について当局に何も報告を行うことなく密かにギリシャの国境に出土品を運び、アテネに向かったそうです。そこからヨーロッパで最も有名な学会に特派を送り、自身の発見を知らせたのです。これに対して大宰相府はシュリーマンが出土品を密輸したとして、彼をギリシャの裁判所で訴えたこともあります。冒頭付近でも述べたように、シュリーマンは他の遺物や贋作を混ぜていた可能性や、伝記にこうした嘘を書き残したり、本来行べき報告を行わなかったりという人物だったのです。また、実は考古学に興味がなかったのでは?とも言われています。理由としては彼がトロイ遺跡を発掘した19世紀後半では、考古学はまだ発展途上の学問だったのです。それなのにシュリーマン自身は考古学を専門機関などでしっかりと勉強してこなかったため、当時の考古学のレベルに比べ知識不足でした。

そのため遺跡を下層に掘り進めるにあたり、上層にある貴重な遺跡を破壊してしまったり、発掘した記録をきちんと取っていなかったり、かなりずさんな面があった事が分かっています。これにより、現在の考古学で再発掘や再検証を行うことが困難となってしまったのです。また彼は伝説であった文明に興味があり採掘に着手したと伝記で言及していますが、それは後付であり事業の一環としてしか興味がなかったのではないかとも考えられています。そのため、無断で国外に財宝を持ち出したのではないでしょうか?これが原因で今でもプリアモスの財宝を所有しているのがどこの国なのか紛争が続いています。純粋な考古学者であったならば、しっかりと専門機関で知識を身に着け、貴重な遺跡を破壊するような発掘作業もしなかったことでしょうし、無断で持ち出したりもなかったでしょう。

まとめ

シュリーマンが純粋な考古学者であったならば、しっかりと専門機関で知識を身に着け、貴重な遺跡を破壊するような発掘作業もしなかったことでしょうし、無断で持ち出したりもなかったでしょう。もしかすると、現在の考古学で再発掘や再検証が行われ新たな発見があったかもしれません。しかし、シュリーマンがいなければミケーネ文明やそれ以前のクレタ文明は謎のまま、今も歴史の空白になっていたかもしれません。また、ホメロスの叙事詩はただのおとぎ話で終わっていた可能性もありえました。彼がトロイア文明やミケーネ文明の遺跡を発見したことにより、古代文明の解明に大きな貢献したことはまぎれもない事実であり、プリモアスの財宝も貢献した事実のひとつなのです

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