幻の裸婦像の展示
2020年にコランが描いた「眠り」という作品が120年ぶりに展覧会で公開されました。これは1900年にパリ万博以来所在がわからなくなっていましたが長い間パリで保管されていたことが判明しました。この「眠り」はポーラ美術館所蔵の「野辺」(黒田作)と並べ展示されました。この「野辺」は黒田が師である「眠り」を参考にしたと考えられ構図が似ている作品となっております。この「眠り」ですが、とても重要な作品となっております。黒田はフランスから日本へ帰国後、作品を発表していくが当時の日本には裸婦画はまだ浸透されておらず、風俗を乱すものと嵐のような批判を受け続けました。
ある時には、作品の下半身に布を被されたこともありました。これは「腰巻事件」としてこの界隈では有名な出来事となりました。その後、黒田達は作品の中で腰から下を布で隠した作品を描くようになるがここで「野辺」を発表し段々と裸婦画が受け入れられていくキッカケとなりました。
弟子の黒田清輝
1884年に法律を学ぶためフランスへと旅立ちましたが1886年に画家や美術商に出会いそれがキッカケとなり画家へ転向しました。黒田清輝も裸婦のデッサン力は流石に素晴らしいです。有名な作品は湖畔ですね。こちらのモデルは妻の照子夫人です。素敵ですね。画家へ転向したのが1886年ですが結果が出るのも早かったです。1891年に「読書」1893年に「嘲笑」がフランスの展覧会で入賞しました。しかしこの「嘲笑」翌年の展覧会に出品された際に「裸体画論争」とまで呼ばれる出来事が起きました。
海外では「美」とされた作品ではあった物の、当時の日本ではまだ定着しておらず春画としてみなされてしまいました。明治4年には東京府知事により「裸体禁止令」が発令され公の場で裸体になることが処罰の対象となったため都合が悪かったようです。結果的には展示は継続されましたが、新しいものを受け入れるというのはいつの時代においてもなかなかに難しい事ですね。
コランは外光派
外光派と印象派にわかれますがコランは外交派になります。光を取り入れる作品が多く、屋外により写生が主となります。外光派の発祥はフランスの19世紀に屋外の太陽光の下で油絵を完成させようとなった事です。印象派の特徴は光を描くことに力を入れたため、絵具には黒を使用しないといった事が挙げられます。
まとめ
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