NIKE(ナイキ)名前の由来
トップアスリート達を支える為に様々な最新技術を研究しながら製品開発をしています。また、デザインや開発、そしてマーケティングに関して熱心に投資し、製品の生産は外注に出すという形をとるビジネスモデルを確立。世界中にある約800以上の契約工場でナイキの製品が製造されています。1964年、オレゴン大学にて陸上部のコーチを務め、自作のランニングスニーカーを制作していたビル・バウワーマン。そしてその陸上部の選手であったフィル・ナイトが共同で資金を出し合い、ブルーリボンスポーツ社を設立しました。この会社としての主な業務は、日本のオニツカタイガー(現アシックス)のスニーカー製品の輸入販売と、その開発でした。ブルーリボンスポーツはオニツカタイガーのスニーカーへ、新しいデザインなどを多くの技術や提案を行いました。
それらのスニーカーはアメリカで非常に高い支持を獲得し、スニーカーの人気は飛躍的に拡大してきましたが、1970年頃になるとオニツカタイガーのスニーカーの売れ行きが滞り始め、1971年にオニツカタイガーとの取引を停止し、自社ブランドをスタートさせました。NIKE(ナイキ)という名前の由来は、ブルーリボンスポーツ社の社員の一人である、ジェフ・ジョンソンが夢で見たギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー(nike)」からです。そしてワッフルソールを利用したスニーカーがアメリカで大ヒットすると同時に、自社ブランド名であったナイキをそのまま社名に変更したのです。
ワッフルソール・エアシステム
ナイキのランニング用スニーカーと言えばワッフルソールというぐらい、今までのアウトソールの常識を塗り替えた革新的なソールです。ナイキの創業者であるビル・バウワーマンが朝食の時に、ワッフルメーカーを見てこのソールのデザインアイデアを思いつきました。一片が約5mm程度の正方形の突起物が並んでいるソールで、滑り易い路面等でも安定してグリップするように開発されました。スニーカー界の世紀の大発明といっても過言ではないこのソールシステムで、ナイキは一流企業へと成長したと言っても良いでしょう。製品としては「オレゴンワッフル」や「ワッフルトレーナー」があります。
他に、ハイテクスニーカーブームの火付け役ともなったナイキのエアシステムは近年のスニーカーにおける最高クラスのテクノロジーであると言っても過言ではなく、その後のスニーカーブランドのクッション技術に多大な影響を与えました。加圧した窒素ガスを充填したポリウレタンカプセルをミッドソールに埋め込み、スニーカー自体の軽量化と優れたクッション性能を両立させた技術です。
代表的なスニーカーの種類
ナイキの創始者であるビル・バウワーマンの試行錯誤によって、1972年に誕生したナイキブランド初のスニーカーがコルテッツがあります。軽量かつクッション製に優れるランニングスニーカーとして陸上の世界に新風を吹き込みました。現在でも生産され続けているナイキを代表する人気スニーカーで、素材はレザーやナイロン、スエード等多岐にわたります。ナイキのベストヒットスニーカーというだけでなく、スニーカーという物を世界的に人気のある物にしたと言っても過言ではないシリーズです。
その他に1984年の時点で、大学バスケットボールのスターであったマイケル・ジョーダンが、NBAのシカゴ・ブルズへの入団をキッカケにナイキは巨額の契約金を支払い、またプロを経験してすらいないマイケル・ジョーダンとパートナーシップを結び、彼の名を冠したシグニチャー・スニーカーシリーズをスタートさせました。この契約自体もそれまでの常識では考えられないものでしたが、ナイキのエアジョーダンシリーズは爆発的に人気スニーカーとなり、以降、年1回のペースでモデルチェンジし、今でも復刻版等が人気となっています。シリーズの中で最も人気があるのは初代エアジョーダンです。
社会現象にもなったエアマックス
ナイキを代表するハイテクスニーカーの火付け役で、初代エアマックスは1987年に発売されました。それ以降、舗装路におけるランニングスニーカーの最上位モデルとして君臨しています。このシリーズの中でも1995年に発売されたエアマックス95、通称イエローグラデは、エアマックスシリーズのスニーカーの中でも狂気に似た人気を獲得し、このスニーカーを履いている人が襲われ、スニーカーを奪われるという、エアマックス狩りという事件が多発し、社会現象にまで発展しました。1987年に最新鋭のクッショニングシステム【AIR】を搭載して颯爽と現れたこのスニーカーは、瞬く間にスニーカーの頂点へと登り詰め、スニーカーバブルを引き起こした事で知られています。そんなNIKE AIR MAX(ナイキ・エアマックス)の歴史を紹介していきます。
エアマックスの歴史
ハイテクスニーカーブームやスニーカーバブルといわれAIR MAXに注目が集まっていたあの頃。現在、AIR MAXというのはスニーカーフリーク達の為のスニーカーとして存在している印象があります。特に初代AIR MAXとAIR MAX 90においては、日本で大きなムーブメントが起きたわけではありません。しかし何故これほどまでに多くのファンを獲得し、現在の復刻版も安定したセールスが出ているかというと、やはりNIKE JAPANでの展開が少なく、海外での定期モデルですら魅力的に感じでしまう魔法があるのです。
また海外でも人気の高いモデルは、並行輸入の数も非常に少ないため、国内での流通が殆どありません。そうなると、喉から手が出る程欲しくなってしまうのが、スニーカー好きかもしれません。1995年、大きな宣伝をする事も無く発売が開始されたスニーカー、それがAIR MAX 95です。しかしこのスニーカーは「誰も見た事の無いスニーカー」としてスニーカーショップに陳列されました。その独特の雰囲気に魅了されたファンを中心に、日本中、世界中を巻き込むムーブメントとなって行きます。最高にファッショナブルなスニーカーは供給と需要に大きな差を生み、価値は異常な程の上昇を見せました。不幸にも犯罪の中心となり「エアマックス狩り」という社会問題にまで発展するほどの狂気の渦の中へ。しかし供給が満たされるとともに、その波は静かに引いて行ったのです。AIR MAXシリーズというのはどうしても「一大ムーブメント」として見られる印象が強いため、このシリーズのスニーカーを敬遠しがちな人も多い事は事実です。
しかしその当時というのは、誰もがハイテクスニーカーの行く末を想像して胸をときめかせ、いつかスニーカーで空を飛ぶ事が出来るのではないかと夢を膨らませたハズです。そんな夢の詰まったスニーカーの代表格がこのAIR MAXというスニーカーなのです。
まとめ
今回の記事でナイキの人気商品や魅力が少しでも伝われば幸いです。「買取大吉」ではエアマックスなどナイキの人気スニーカーの買取を強化しております。ご自宅の靴箱に眠っている逸品がありましたら、是非一度「買取大吉」店舗までご来店ください。