帝国主義とダイヤモンド
ダイヤモンドが産業として発展し始める19世紀末は、西洋列強が帝国主義政策を打ち出し、インドやアフリカ、アメリカなどの新大陸に植民地を展開した時代でした。そして、このとき南アフリカでダイヤモンドが発見されたのが、ダイヤモンドラッシュの始まりとなります。南アフリカのケープタウン周辺は、もともとオランダが17世紀に入植した植民地でした。
17世紀、オランダは強大な海軍力を誇る国家で、アフリカの他にもインドに東インド会社を設立し、鎖国時代の日本とも交易を行うなど、世界的に影響力を持っていました。しかし17世紀後半の英蘭戦争以降、オランダの支配力は衰退し、19世紀にはケープ植民地はイギリスの領有地となっていました。ケープ植民地を追われた、オランダ移民やその子孫の「ブール人」は「オレンジ自由国」を建国します。ダイヤモンドや金が見つかったのは、このオレンジ自由国のキンバリーと呼ばれるエリアだったのです。
この地にダイヤモンドや金を求めて、西洋の探鉱者が多く流入するようになると、探鉱者の保護などを名目に、イギリスがこのオレンジ自由国や、同じブール人の「トランスヴァ―ル共和国」をイギリスの植民地に取り込もうと軍事侵攻を行います。こういった一連のブール戦争(ボーア戦争)によって、これらのブール人の国々は最終的にイギリスに併合されます。
デビアス社とダイヤモンド
デビアス社(De Beers Consolidated Mines,Ltd.)はこのような時代の最中に設立された企業です。これは1870年代からダイヤモンドの採掘を行っていたイギリス人のセシル・ローズ(Cecil John Rhodes)が1888年にロスチャイルド家の支援を得て設立しました。デビアスの名は、セシル・ローズが購入した土地の、もともとの所有者の名前に因みます。デビアス社はどんどんダイヤモンド鉱山や競合他社を買収し、1890年には世界のダイヤモンドシェア9割を独占するほどの力をもつ企業となります。
セシル・ローズは生粋の白人至上主義者で、植民地政策を推し進めた政治家でもあり、イギリスのケープ植民地首相も務めた人物でした。セシル・ローズの死後、デビアス社は一時低迷の時代を迎えますが、アーネスト・オッペンハイマーの参画により、ダイヤモンド産業の市場を掌握します。彼は巧みな戦略を繰り広げ、生産をコントロールする「ダイヤモンド生産者組合(PDA)」、生産されたダイヤモンドの買い付けや分類を行う「ダイヤモンド貿易会社(DTC)」、ダイヤモンドの独占販売を行う「中央販売機構(CSO)」を設立し、ダイヤモンド産業をカルテル化することで、生産から販売までを管理し、ダイヤモンドの希少価値を作り上げました。
また、ダイヤモンドのラグジュアリーなイメージを確立するために、様々なイメージ戦略を行います。映画で恋人への贈り物にダイヤモンドを使用して、ダイヤモンドをロマンスと結びつけたり、インフルエンサーやセレブリティに着用してもらって購買欲を刺激したりしました。こういったブランディングのなかで、「A Diamond is Forever.(ダイヤモンドは永遠に)」という世界的に有名なキャッチコピーも生まれました。黒地に一粒のダイヤとこの4単語が並べられただけのシンプルな広告は、ダイヤモンドが永遠の愛を司る宝石というイメージを決定的なものにしました。
また、ホワイトダイヤモンドの世界基準である“4C”を世界的に広めたのもデビアス社だと言われています。これはGIA(米国宝石学会)を設立したロバート·M·シプリーにより提唱された基準で、簡単に言うと「Carat(大きさ)」、「Cut(研磨やカットの精度)」、「Clarity(不純物が少なく透明度が高いか)」、「Couleur(無色透明に近いか)」という4つの基準軸から総合的に、ダイヤモンドの価値を鑑定するというものです。
デビアス社とLVMH
21世紀にはデビアスは供給だけでなくダイヤモンドのクリエーションにも進出します。世界最大級のコングロマリットLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)と提携し、デビアスのオリジナルジュエリーブランドを展開しています。とくに「タリスマン」と題されたシリーズはユニークで、カットを施していないダイヤの原石「ラフダイヤモンド」をあしらったシリーズです。ダイヤモンドの生産から供給までを行うデビアス社の上質なダイヤの中から、磨かなくとも美しい稀有な品質のものを、さらに厳選して使用しています。
ダイヤモンドの光と影
アパルトヘイト
ダイヤモンドや金などの豊富な天然資源は、白人政府によるアフリカでの搾取や人種隔離政策「アパルトヘイトApartheid」を助長したという事実も否めません。アパルトヘイトの原型となったのが1911年に制定された「鉱山労働法」で、これは白人と黒人の鉱山での人数比を全国的に統一するというものですが、実際のところは白人の労働機会を守るという目的で制定されました。こういった白人と有色人種を区別する風潮はその後も根強く残り、アパルトヘイトが撤廃されたのは21世紀目前の1991年のことです。
紛争ダイヤモンド
また、巨万の富を生み出すダイヤモンドは紛争の種にもなります。ダイヤモンドによって得られた財力が、戦争の資金に使われるという負の連鎖が蔓延し、アフリカでの紛争を激化させました。このような紛争の資金にされたダイヤモンドを「紛争ダイヤモンド」と呼び、そうした惨状から「キンバリープロセス」という、紛争ダイヤモンドを流通させない仕組みが構築されました。
これはダイヤモンド産出国の政府が、ダイヤモンドに「キンバリープロセス証明書」というダイヤモンドの出自を保証する書類を添付していない限り、キンバリープロセス参加国に輸出できないというものです。現在、キンバリープロセスには、主要なダイヤモンド産出国とダイヤモンド購入国のほとんどが参加しています。
最後に
デビアス社は世界でダイヤモンドの価値を揺るぎないものにした立役者です。ダイヤモンドは永遠の輝きといわれる美しさがありますが、その発展の裏には権力や欲に塗れた血なまぐさい歴史があります。ダイヤモンドのように多面的な視点でダイヤをみつめることで、自分の視野が広がるきっかけとなるかもしれません。