コーイヌールの始まり
コーイヌールの初期の来歴自体は明確に伝えられてるモノはなく、インド亜大陸が世界で唯一のダイヤモンド産出国であったことから、インド原産であることは確実と言われております。
ヒンドゥー教であるインドの叙事詩『マハーバーラタ』の言い伝えでは、ガンジス川の支流であるヤムナー川河畔に捨てられていた子供の額からこの石が発見されており、象使いの娘がその子どもを王宮に連れて行ったところ、その子どもは太陽神「スーリヤ」と人間の女性の間にうまれた子ども「カルナ」であったとされております。その後、王宮にもたらされた石は、ヒンドゥー教の主神シヴァの彫像の第三の目の位置にはめ込まれていたそうです。
コーイヌールが歴史書に初めて登場したのは、1526年ムガル帝国(15世紀-16世紀まで続く南アジアの帝国)の初代皇帝バーブルの回想録「バーブル・ナーマ」の記述であり、そこには1294年にマルワ(当時のインド中部地方)のラージャー(貴族・豪族)が所有していたとされています。
その後もインド北部の君主を中心に所有権が何度も移りかわっており、1849年のシク王国最後の君主ドゥリープ・シングまでの550年の間に50もの豪族や君主が所有をすることとなりました。
万国博覧会
1849年に英国がパンジャーブ(シク王国を含む北インド地方)をインド帝国の支配下にはいったことによって、王家の財産はことごとく東インド会社に没収される形となります。実質的にはインド帝国は当時の英国の植民地であり、当時の東インド会社はインドの行政組織を担うなど統治機関として変貌していきます。その際にコーイヌールも同じく東インド会社の手に移っており、最終的には当時のインド帝国女帝であるヴィクトリア女王に献上される形となります。
1851年には世界で最初の国際博覧会であるロンドン万国博覧会の目玉の出品物として水晶宮(クリスタル・パレス)に展示され一般に公開されることとなります。
出店物の目玉として初めて一般公開されたコーイヌールですが、インドのムガルカットが施されたこの石は十分な輝きを発揮できなかったと言われており、献上された女王を含めはるばる訪れた見物客もがっかりしたのだそうです。
コーイヌールの現在
ロンドン万国博覧会での評価がよくなかった国民と女王の評価を汲んで、アルバート公(ビクトリア女王の夫)がアムステルダムから有名なカット職人であるヴールザンガーを呼び寄せ再カットさせることにしたと言われております。
一か月以上の時間を費やし、186カラットから108.93カラットに減ってしまいますが、今日主流であるブリリアントカットによる素晴らしい輝きを得て、以後コーイヌールは世界的な名声を博するダイヤモンドとなりました。
一説ではビクトリア女王はこのダイヤモンドを男性の国王が相続する時は王妃のみが使用するように遺言したといわれており、以後もアレクサンドラ皇太子妃、メアリー女王、エリザベス一世と女性に譲られており、現在は厳戒体制のもとに一般公開され、ロンドン塔の王室コレクション展示室に飾られております。
まとめ
世界から評価を得たコーイヌール。ブリリアントカットで再カットされた108カラットのダイヤモンドは現在も一般公開され、人々の心を魅了していることでしょう。ダイヤモンドは買取査定の評価が高い品目の一つです。
【カラット】、【カット】、【カラー】、【クラリティ】の4Cと呼ばれる評価基準をもとにダイヤモンドの品質が決まります。買取大吉では知識経験が豊富なスタッフが丁寧に対応・査定致しますので、お気軽にご相談ください。