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ダイヤモンド バイザヤードの生みの親、エルサ・ペレッティ

ダイヤモンド バイザヤードの生みの親、エルサ・ペレッティ

ティファニーには数々の人気モデルがあります。「ダイヤモンド バイザヤード」、「ボーンカフ」、「オープンハート」これらはすべてエルサ・ペレッティというデザイナーによって生み出された作品たちです。彼女は2021年にこの世を去りましたが、彼女のレガシーはティファニーに今も息づいています。そんな彼女のクリエーションを紹介します。

エルサ・ペレッティの幼少期

エルサ・ペレッティ(Elsa Peretti)は、イタリアの石油王の娘として、1940年にイタリアのフィレンツェで生まれました。エルサ・ペレッティは裕福な環境で育ち、ルネサンス様式の宮殿のような家で育ちましたが、この宮殿は時が経つにつれて、彼女にとって黄金の“檻”のようなものになったようです。

21歳のとき、彼女はついに思い立ちます。「私は立派な大人で自由です。人生を生きることに決めました」と彼女は父親に手紙を書きました。そしてスペインのバルセロナで、モデルとしてのキャリアをスタートさせます。当時のバルセロナは変化の時期にありました。それは女性が自身のために生き、自身の自由を勝ち取ろうと闘い、女性の権利が社会的に見直されている時期でした。そんな街の活気はエルサにぴったりで、生涯にわたりエルサのお気に入りの地でした。

エルサ・ペレッティ、ジュエリーを手掛ける

エルサは1968年にアメリカに移住します。1969年にはモデル業と並行して、ジュエリーのデザインを始めます。最初はジョルジョ・ディ・サンタンジェロやホルストンなどのファッションメゾンのためにデザインを行います。ホルストンでは、自らデザインしたジュエリーを付けてランウェイを歩きました。そして1974年、ホルストンの紹介でティファニーのデザイナーとなります。ちなみにエリサの採用は15分で決まったと言われています。

エルサ・ペレッティのデザイン

エルサのデザインは、ミニマルなデザイン哲学と、女性の体と調和するような有機的な曲線美が特徴的です。1970年代はファッションシーンでも実生活に適したプレタポルテ(既製服)がもてはやされ、モードの頂点と言えるオートクチュール(高級仕立服)を凌駕する勢いをみせていました。そうした機能美を評価する時代の風潮は、エルサのミニマルなエレガンスにも好意的で、瞬く間にティファニーの売れっ子デザイナーとなりました。

ダイヤモンド バイザヤード

エルサは、限られた予算内で女性向けのダイヤモンドジュエリーを作成するよう依頼されました。彼女は36インチのチェーンにベゼルセッティング(フレームの中に嵌め込むようなセッティング方法)した12個の小さなダイヤモンドをランダムに配置しました。一粒一粒が可憐に輝く小さなダイヤモンドは、肌を滑る雫のように女性の肌を美しく引き立てます。この小さなダイヤモンドが配置された36インチ(=1ヤード)の長いチェーンを見て、親しい友人のハルストンは「Diamonds by the Yard」と呼びました。さらに彼女はさまざまなサイズのダイヤモンドとチェーンの長さを追加して、ダイヤモンド バイザヤードに多彩な表情をもたらしました。働くママが増え、女性の役割が社会的にも大きくなってきたこの時代、ダイヤモンド バイザヤードの存在は、女性にとってダイヤモンドを、より着けやすく、用途が広く、アクセスしやすいものにしました。

ボーンカフ

エリサのデザインを象徴する、アイコニックなブレスレットであるボーンカフは、当時のファインジュエリーとは一線を画したもので、大胆にもダイヤモンドとゴールドを排し、ポリッシュドシルバーの美しさを表現したものでした。人間のフォルムにインスパイアされた有機的な曲線美は、シルバーという金属を柔らかく、しなやかに見せます。

オープンハート

もう一つの名作がオープンハートです。エルサに特徴的な流れるような柔らかいフォルムのハートは、「心を開く」という詩的なメッセージが込められた、エルサ流の愛の賛歌といえるでしょう。誕生から50年近く経った今でも、ティファニー屈指の人気商品で、イヤリングやリングも展開されています。この作品は、ボーンカフとともにシルバージュエリーのあらたなポテンシャルを切り開いたものでした。1990 年、エルサはオープンハートの起源について次のように説明しています。

「オープンハートのアイデアは、大きなヘンリー・ムーアの彫刻の空白から生まれたと思います。おそらくそこに“心”を見たのは私だけでしょう。そして金属の中にフォルムを見出しました。しかし私が解決できなかったのは、チェーンでそれを吊るす方法でした。当時ティファニー ジュエリー部門の責任者だったカーリッチ氏は、吊るすのではなくハートを“開いて”チェーンを通すことを提案してくれました。こうしてオープンハートの最初のモデルは完成し、彼のフィアンセに贈ることにしました。」

エルサ・ペレッティ、慈善団体を創設する

エリサのクリエイティビティはジュエリーデザインにとどまらず、慈善団体の創設に至ります。2000年、彼女は父親の名前で慈善団体を立ち上げました。これは現在、Nando and Elsa Peretti Foundationと呼ばれています。この財団は、環境、社会福祉、芸術におけるイニシアチブを支援することを使命としており、特に彼女が愛したスペイン・カタルーニャ地方で活動しています。

まとめ

美貌と創造性に恵まれた才色兼備のデザイナー、エルサ・ペレッティは、ダイヤモンドバイザヤードをはじめ、今に生きるティファニーの名作の数々を生み出したクリエイターでした。クリエーションにとどまらず、チャリティー活動にも積極的であった彼女の人間性は、彼女の50歳の誕生日を祝うために作られた映画「Elsa Peretti: Fifteen Of My Fifty With Tiffany」の中で、エルサ・ペレッティ自身によって要約されています。「私にとって、良いデザイナーになることは簡単なことです。しかし、良い人になることは難しいでしょう」と彼女は言いました。そしてこう付け加えます:「やってみたいけど。」

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