ポシェットケリーとは!?
ポシェットケリーと聞いて、どんなこと思い浮かべますか?事実、あまりピンとこない方が多いのではないでしょうか?ですが、見た目だけポシェットケリーに憧れをもつのも良いですが、背景やサイズ展開、または販売価格なども知っていると、もっとポシェットケリーの素晴らしさが理解できるのではないでしょうか?知らないよりも、知っている方が選ぶ基準などもっと細かくできますよ。今回はポシェットケリーを7つそれぞれの視点から、解説していきます。
ポシェットケリーとは、通常のケリーバッグをベースとして誕生したアイテムになります。通常のケリーバッグよりも、全体的にコンパクトにまとめられたポシェットケリーは、ハンドルが収納できるように、マチも薄くなっています。そのためハンドバッグではあるものの、クラッチバッグの様に使用できます。それ以外は通常のケリーバッグと大きく異なるポイントはありません。
また、そのフォルムから、コーデをすっきりした印象にしてくれるため、若い女性を中心に需要を高めています。またパーティのお供や、セカンドバッグにも最適なアイテムです。そして、ポシェットケリーは、人気の高さから日本のブティックではなかなか手に入らないレアアイテムでもあります。コーデのアクセントにもなるポシェットケリーはフォーマルシーンでも合わせやすさを持っています。
生地選びも大事!?
ポシェットケリーを選ぶ際、やはり重要なポイントになるのは素材です。素材次第では、ポシェットケリー全体の雰囲気を変えるだけではなく、合わせやすいコーデやシーンも変化するということです。かなり重要ですよね。特にパーティスタイルによく合うポシェットケリーだからこそ、素材選びも大切になります。今回はポシェットケリーと相性の良い素材をご紹介しますので、ぜひ参考にしてください。
エルメスの素材といえば、エプソンボックスカーフ同様、ポシェットケリーをエレガントに仕上げてくれるのが、牛革素材のエプソンとなります。エプソンは2003年に登場してから、エルメスを代表する素材です。抜群の人気を誇るエプソンは、ポシェットケリーとの相性も抜群です。また硬い質感のある素材のため、耐久性も高く、スリムなフォルムのポシェットケリーの型崩れも心配ありません。
・ラグジュアリーに仕上げたいなら、アリゲーター
パーティシーンにも最適なポシェットケリーを、ラグジュアリーな印象に仕上げてくれるのがアリゲーター素材を使用したものです。エルメスを代表する高級素材アリゲーターは、アメリカのミシシッピ川流域に生息しているミシシッピワニを使用しているエキゾッチクレザーで、特殊な加工により、独特な光沢感をもっています。年々生産数も減少し、プレミアム感がある素材です。
・ポシェットケリーをエレガントさにプラスする、ニロティカス
同じ高級素材であるニロティカスも、ポシェットケリーと相性の良い素材として多く展開されています。アフリカのナイル川流域に生息しているクロコダイルを使用したエキゾチックレザー、こちらは光沢感のある美しい表面だけではなく、スタイリッシュなポシェットケリーのフォルムもエレガントに仕上げてくれます。パーティーシーンに合わせやすいポシェットケリーをさらにラグジュアリーな印象にします。
上記以外でもポシェットケリーは他のエルメスアイテム同様、多くの素材と展開されているアイテムです。自分に合う素材を見極めると、さらにポシェットケリー自身の魅力をアップすることにも繋がります。
ポロションミミルとは?
エルメスよりカジュアルな巾着型のワンショルダーバッグ『ポロション ミミル』は、バッグ口の開閉が容易にできます。大きく開きくため、荷物の出し入れがしやすい作りになっています。キャンバス素材なのでとても軽く、デイリー使用にオススメです。
エルメスの豆知識
エルメス社の母体になったのは、ティエリー・エルメス(Thierry Hermès, 1801年 - 1878年)が1837年、マドレーヌ寺院界隈、現在のパリ9区にあたるバス=デュ=ルンパール通り(Rue Basse-du-Rempart)に開いた馬具工房です。ナポレオン3世やロシア皇帝などを顧客として発展します。1878年、ティエリーの息子である2代目シャルル・エミール・エルメスの時代に、パリ万博に出品した鞍が金賞を獲得します。1879年に現在の本店があるパリ8区フォーブル・サントノーレ通り24番地へ工房を移転します。
ティエリーの孫にあたる3代目のエミール=モーリス(モリス)・エルメス(Émile-Maurice Hermès, 1871年 - 1951年)は事業の多角化に着手しました。1892年には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグ、サック・オータクロア(オタクロワ)(sac haut-à-courroie、現在の名前はオータクロアまたはオタクロワ)を製作、1927年に腕時計を発表します。さらに服飾品・装身具・香水などの分野にも手を広げ、それらの製品のデザイン、製造、販売をすべて手がける会社になりました。
1980年代から1990年代にかけエルメス社はシャツや帽子を発注していた会社を次々と買収したが、リシュモン系列(カルティエ・クロエなど)やLVMHグループ(ルイ・ヴィトン・フェンディなど)の買収戦略と異なり、職人技の維持を第一目標にしてのものであり、そのため買収対象は比較的小規模の会社にとどまっています。エルメスと資本関係のあるブランドには、食器のサンルイ、ピュイフォルカ、英国靴のジョン・ロブなどがあります。
1997年にエルメス社が制作した初の社史「LE CHEMIN D'HERMÈS」は漫画形式で、日本の漫画家竹宮惠子(日本語版は『エルメスの道』中央公論社)に依頼されました。1988年、エルメスのメンズプレタポルテのディレクターに、ヴェロニク・ニシャニアンが就任します。(メンズプレタポルテは現在もヴェロニク・ニシャニアンがデザインしている)
レディースプレタポルテでは、2004年マルタン・マルジェラの後継として、ジャン=ポール・ゴルチエがデザイナーに就任します。2004年のパリ・コレクションではエルメスの伝統である馬具・皮革製品を意識し、伝統に配慮しつつ、オレンジ・黒を中心とした鋭角的でかつブランドの風格を意識したデザインを発表します。クリストフ・ルメールに代わり、2015-16秋冬コレクションより、ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキーがアーティスティックディレクターを務めています。
1960年代初めより日本に於ける元祖セレクトショップである銀座のサンモトヤマが輸入販売を行っていましたが、日本初の直営店は、1978年に東京・丸の内に開店したブティックです。エルメスの日本法人であるエルメスジャポン株式会社は、1983年にエルメス・アンテルナショナルと西武百貨店との合弁で設立されたが、後にエルメス・アンテルナショナルの完全子会社となりました。
現在では西武系に限らず、大手百貨店の主要店には比較的多く出店しています。日本におけるエルメスの売上は、アメリカ合衆国、フランスに次ぐ世界第3位で、世界全体の売上の13%を占めています。2001年6月28日には、日本での旗艦店「メゾンエルメス」(en:Maison Hermès)を東京・銀座の晴海通り沿いにオープンしています。ブティックのほか、製品の修理工房、ギャラリー、パリ以外では初となるエルメス社常設ミュージアム、そしてエルメスジャポンの本社が入居、広告などのメディア関連事業はピュブリシス・グループおよび電通と契約して行っています。純広告のビジュアルには「Publicis EtNous」と記載されています。