目次
銀本位制とは?
銀本位制(ぎんほんいせい)とは、経済や通貨制度の一形態で、一定量の銀を裏付けとして通貨の価値を定める仕組みを指します。銀本位制の基本的な仕組みは、国の通貨の発行量を一定量の銀に対応させることです。
つまり、国が発行する紙幣や硬貨の裏には、その価値に相当する銀が存在しているという保証があります。これにより、通貨の価値は銀の価値によって支えられると考えられました。似たような通貨制度として金本位制が挙げられ、これは銀の代わりに一定量の金を裏付けとして通貨の価値を定めます。
銀本位制のメリット・デメリット
銀本位制のメリット
経済の安定と通貨の信頼性
銀本位制は、一定量の銀が通貨の裏付けとなるため、通貨の価値が安定し、信頼性が高まりました。この信頼性により、市民や企業は経済的な取引や投資を安心して行える環境が整いました。
国際貿易との結びつき
銀本位制において、各国の通貨は一定の銀量と結びついていたため、国際間の貿易が容易になりました。外国との取引が円滑に進むことで、経済的な交流が増え、国際的な経済との結びつきが強まりました。
銀本位制のデメリット
政府がお金を自由に増やせない
政府が発行できる紙幣の上限が銀の保有量で制限されているため新たな紙幣を発行することができず、何か危機的な状況に陥った時でもうまく対応するのが難しくなります。実際に銀本位制と仕組みがほとんど変わらない金本位制は、第一次世界大戦の影響を受けて、廃止する国が多くなり、そのまま金本位制は廃れていきました。
国内の経済成長が起きにくい
保有している銀の分しかお金を発行できないというのは、経済活動に制限を加えることにもつながってしまいます。例えば、企業が新しい事業に乗り出すために、銀行にお金を借りたくても、「銀がないから融資できません」ということが日本中のあちこちで起こったら、国単位の経済の成長は停滞してしまいます。
輸入が多い国がどんどん辛くなる
銀本位制では輸入額が輸出額を上回る=国が保有する銀の量が減少することを意味します。そのため、輸出が多くなると銀の保有量が減り、その分紙幣の発行も出来なくなり上述したように国内の事業の発展も難しくなるという負のループに突入してしまい、抜けることが難しくなってしまいます。そのため、各国の格差が広がりやすいといえます。
日本での銀本位制
日本でも銀本位制は過去に使われていました。日本で銀本位制が制度として採用されたのは1885年のことで、松方政策と呼ばれている経済政策が大きくかかわっています。
日本で銀本位制が採用された背景
銀本位制は1880年代に行われた経済政策の一環
当時の政府は、西南戦争の戦費調達のために、大量の不換紙幣を発行した影響によって貨幣価値が下落し、物価が急上昇しており、いわゆるインフレーション(インフレ)に頭を悩ませていました。このインフレを解決するために当時の大蔵大臣・松方正義によって様々な政策が主導され、それらの政策は総合して松方財政と呼ばれています。
当時のインフレの問題点
この時代の政府の財源は主に地租です。これは、その土地の地価をもとに決められているため、額面として政府に入ってくる収入は一定となります。そのため、収入が変わらないのに物価の上昇が起きてしまうと、財政が苦しくなってしまうというわけです。現代、日本でも給料が変わらず、物価のみが上がっている現象が起こっているため、イメージしやすい方も多いのではないでしょうか。
松方政策が行った具体的な政策
紙幣整理事業
松方政策の具体的な施策の一つ目が紙幣の整理を行った事です。上述したように、当時の日本紙幣は価値が大きく下落していました。そのため政府は、酒税など増税により税収を増やすとともに、歳出を削減しました。入るお金(税収)と出るお金(歳出)を調整したことで、流通するお金を大きく減らし、紙幣一枚あたりの価値を上昇させました。
日本銀行の創設
欧州各国の中央銀行をモデルに、「一国金融の心臓」として日本 銀行の設立を提案し、1882年に日本銀行を設立しました。日本銀行に紙幣発行権を集約し、通貨価値の安定を図るとともに、中央銀行を中核とした銀行制度を整備し、近代的信用制度を確立しました。
兌換(だかん)銀行券の発行に伴う銀本位制の導入
上述した急激なインフレーションを引き起こした背景には、紙幣の価値がなくなった事が大きく関係していました。これはそれまでの紙幣が不換紙幣だったため、金や銀と交換できず、紙幣の価値を保証できなかった事も大きく関係しています。
そのため、新たに日本銀行で発行する紙幣には、銀兌換銀行券を発行するという仕組みを採用しました。これによって、紙幣が銀と交換できる(銀兌換)ことを表し、銀本位制を導入したことで、紙幣の価値が保証され、貨幣価値の上昇が導かれました。
銀本位制の導入に深くかかわった人物
銀本位制を導入するにあたり、大きな影響を与えた人物がいます。それが2024年からの新10,000円札の肖像画に決定している渋沢栄一です。彼は、「日本資本主義の父」や「実業界の父」ともいわれており、日本の銀行史を代表する人物で、銀本位制を導入し、日本の紙幣価値を大きく上げる立役者となりました。
日本が諸外国で一般的だった金本位制でなく、銀本位制を採用した理由
日本が銀本位制を導入した当時、世界では銀と貨幣を結び付ける銀本位制ではなく、金と貨幣を結び付ける金本位制が主流でした。しかし、日本では幕末の貿易によって国内の金が不足していたため、十分な量の金が確保できなかったためでした。
銀本位制から金本位制への移行
その後、1897年まではこの銀本位制が続いていましたが、日清戦争に勝利したことで、日本が多額の賠償金を得ることにより、金の保有量が増え、そこから金本位制がスタートしました。しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発し、各国が自国の紙幣と金の交換を停止しました。終戦後、経済が安定してきた先進国は金本位制を再開していきました。しかし、日本ではそのころ関東大震災や世界恐慌の煽りを受け、日本での金本位制の継続は難しくなっていました。
第二次大戦後、アメリカドルを基軸通貨とした疑似的な金本位制であるブレトンウッズ体制がニクソンショックによって、崩壊したことで、世界は為替変動相場制に変化していき、金や銀と紙幣を直接結び付ける、本位制の歴史が終わりました。
まとめ
今回は銀本位制について、日本で導入された歴史を含め、ご紹介しました。日本経済を大きく支えた銀は、地球上にある限りある資源のひとつであり、現在でも装飾品や工業品で幅広く使われています。
しかし、銀を含めた貴金属は近年、価格が高騰しており、銀もその例に漏れず価格が大きく上昇しました。「買取大吉」では、そんな貴金属製品の買取を強化しており、状態を問わず、高価買取を行っています。また、ご査定・ご相談は無料で行っております。ぜひ、お気軽に「買取大吉」各店にご連絡ください。