金の発見
1848年、大工のジェームズ・マーシャルはカリフォルニア州サクラメントのサッターズ・フォートで製材所を建設していました。あるとき近くを流れる川で、きらきら光るものを見つけました。その“金らしきもの”をかじってみたり、ハンマーで叩いたり(金は柔らかい金属なので噛み跡がついたり叩くと延びる)といった簡単な実験を行い、金である信憑性がますます出てくると、雇い主であるジョン・サッターに報告をします。
ジョン・サッターは金の発見によって、大勢の人がこの地に押し寄せてくることを予想し、従業員に金が発見されたことは他言無用とすることを命じます。しかし、金発見のニュースはすぐさま広まり、サンフランシスコ周辺の人間という人間が、“サッターの砦(サッターズ・フォート)”に押し寄せます。
人口の激増
数か月もすると、金発見のニュースはカリフォルニアを越えて国中に広がり、秋にはニューヨークのヘラルド紙が金発見を報じ、アメリカ議会でもカリフォルニアで金が大量に発見されていることが報告されました。1849年には中国やチリ、フランスなど大陸を越えて海外からも移民が大量に流入するようになります。この年に因んで、これらの移民たちは「フォーティーナイナーズ」と呼ばれたりもします。このようにゴールドラッシュはアメリカの歴史において、大きな人工流入をもたらし、1847年には500人程度だったサンフランシスコの人口は、1852年には15万人を超えました。
カリフォルニアの成長
ゴールドラッシュによって人口が劇的に増えたカリフォルニアは州として、経済活動が活発になります。カリフォルニアはゴールドラッシュ以前はメキシコ人が多い州でしたが、州外のアメリカ人が大量に流入しました。彼らは故郷の家族と連絡を取ろうとしたため、通信手段が発達しました。
有名なものでは「ポニーエクスプレス」と呼ばれる、ポニーで手紙や小包を郵送するものや、「カリフォルニア スターエクスプレス」と呼ばれる、カリフォルニア~ミズーリ間を結ぶ郵送サービスが登場しました。そのほかにも、カリフォルニアに移住する探鉱者や鉱山労働者に向けたビジネスが次々と生まれ、カリフォルニアの経済発展をもたらしました。
経済発展
人口増加により、食料や衣類品を販売する小売店が増え、鉱山の活発な操業は、採掘機械の製造や発展を促進しました。また労働者が使う丈夫な革製品の製造業も発達していきます。さらに機械の製造に必要な、原料の製材所も設立されていきました。人が増え食料の需要が高まったことは、農業においても発展をもたらします。カリフォルニアは天候に恵まれた土地で、さらに機械工業の発展は農地開拓にも大きな一助となり、野菜や果物そして穀物などが植えられ、鉱山地帯だけでなく農地も拡大していきます。
ブドウなどの果樹園も開墾され、現在世界的にも有名なカリフォルニアのワイン生産も、この頃に大きく飛躍します。これらの生産物は、地元で消費するだけでなく、輸出品としても経済活動に大きく資することになりました。また海外からの移民がカリフォルニアで新たなビジネスを起こすことも、少なくありませんでした。例えばカリフォルニアは、チリにとっての新たな果物の輸出先であり、中国にとっては砂糖の輸出先となりました。
カリフォルニアがアメリカにおいて存在感を強めると、交通手段も発展をみせます。人口500人程度だったころには、陸の孤島といってもいいほどに孤立した地域であったにもかかわらず、世界中から此の地を目指して人が押し寄せたため、カリフォルニアにつながる道路や橋、船や汽車が発展しました。これはパナマ運河で知られる、パナマ地峡の交通発展にも寄与し、パナマ地峡鉄道が開通しました。さらにサンフランシスコは、アメリカ東西をつなぐアメリカ大陸横断鉄道の西の終着駅に選ばれたため、鉄道開通後にも大きな経済発展をみせることとなりました。
ゴールドラッシュの影
ゴールドラッシュは良いことばかりをもたらした訳ではありません。多くのアメリカ開拓の歴史にあるように、カリフォルニアへの入植者は先住民のネイティブアメリカンとの衝突を引き起こし、ネイティブアメリカンの迫害や虐殺の原因にもなりました。また、移民の大きな一派であった中国移民も、激しい差別の標的にされました。
また、鉱山の操業は環境にも被害を与えました。採掘で掘り起こされた土砂で川は埋まり、資材調達のため木々は伐採され、有害物質で土壌が汚染されました。突然の移民によって、人口が激減した地域や国では労働者不足の問題が発生しました。そして金の採掘量が増えて流通量が増加したことで物価が上がり、インフレーションが引き起こされました。
まとめ
カリフォルニアのゴールドラッシュは、金の採掘というだけでなく、サンフランシスコをはじめとするアメリカ西海岸の発展に大きく寄与した史実です。人口増加によって様々な産業が発展し、交通機関が整備され、都市として発展したサンフランシスコは、アメリカ国内でも存在感を高め、アメリカ全体の経済発展を牽引する存在となりました。一方で環境問題や人種差別などの問題を惹起した要因になったことも忘れてはいけません。
今でもカリフォルニア州のスローガンは「エウレカ!(ギリシア語で“発見した”という意味。アルキメデスが叫んだとされる)」で、カリフォルニアの黄金時代を築いた人々の、フロンティアスピリットやアメリカンドリームを象徴しています。