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金の歴史を解説!世界と日本の金事情と歴史から見る今後の価値について

金の歴史を解説!世界と日本の金事情と歴史から見る今後の価値について

近年、金の価格が高騰し2023年9月には史上初めて買取価格が1万円を超えたことなど、話題をよく耳にするようになりました。今回は、金の価値をめぐる歴史、金の価値を判断するポイント、今後の価値について解説します。

金とは?

宝飾品や資産としての価値が高い「金」は素材としての価値も高いです。最初に金相場の大まかな歴史を紹介します。

金相場の歴史

金の価格は為替や世界情勢に左右されやすく、世界情勢の見通しが不安定になったり米ドルの価値が下がったりすると金価格は上昇します。

国内の金小売価格の指標となる田中貴金属工業の小売価格をもとにした、過去10年間の金価格の最高値の推移は次のとおりです。

1gあたりの最高値
2013年 5,084円
2019年 5,000円
2020年 7,063円
2024年 13,477円

パンデミック「COVID-19」の世界的な拡大で経済不安が高まり金価格はピークを記録しました。感染症による経済への影響は残るものの、2022年以降は社会情勢の不安が高まり2024年には最高値が更新されました。

【世界】金の価値の歴史

金の価値は歴史とともに変動してきました。現代まで価値がどのように変化したのかを紹介します。

シュメール文明では既に金が使われていた

シュメール文明とは、ユーフラテス川とチグリス川に挟まれたメソポタミア地方でシュメール人によって作られた文明です。

シュメール文明については不明な点が多いですが、金のアクセサリーや飾りが生成されており、これらは世界で最も古い金製品とされています。

トラキア人が作った黄金文明

紀元前5000年〜紀元前3000年にかけて現在のブルガリアには「トラキア人」が住んでいました。トラキア人は近隣のギリシャ文明やペルシャ文明と交流しながら独自の文明を築いた民族です。

トラキア人が作った「黄金文明」はその名の通りさまざまな金製品を残しました。1972年、ブルガリア東部のヴァルナ・ネクロポリスから重さ数キロの金製品が発掘されニュースになりました。

古代エジプト文明と金

古代エジプトでは金は国家にとって非常に重要なものであり、その保有量によって国家の繁栄が決まっていました。

ツタンカーメンの棺とマスクの印象が強く、仮面は王の威厳と国家の繁栄の象徴として23カラット(純度95.8%)という極めて純度の高い金で装飾され、棺も100キロを超える金で作られていました。

このように希少性が高かったため、当時、金を装飾に使うことが許されていたのは特に高貴なファラオだけでした。

錬金術が誕生した中世ヨーロッパと金

ヨーロッパには銀山はあったものの金はほとんど産出されず、他の国からの輸入のみでした。

他国との交易が行われるようになると王冠や身分の高い人が身につける装飾品など、身分の高い人を飾る宝飾品として金が多く使われるようになりました。

人目を引く美しい品々は金細工職人によって作られ金細工技術が発展して、金の貯蔵や技術の発達につながり銀行業が生まれたとされています。

インカ帝国と金

アンデス山脈に栄えたマチュピチュ遺跡で有名な巨大インカ帝国は金でも有名でした。

インカ帝国は推定10万トン以上、320兆円以上の価値を持つ金を歴史上最も多く保有した国のひとつとして知られています。これだけの金が大量に採れた国であったものの、それゆえに他国から攻撃を受け1533年にはスペインの軍人によってインカ帝国は滅ぼされました。

特に13世紀から16世紀にかけては黄金をめぐる争奪戦のために多くの国々が侵略を受けたといわれています。

19世紀のゴールドラッシュ

1800年代、建設中の製材所の水路で金が発見されました。

金の採掘で一攫千金を狙って世界中から多くの人々がカリフォルニアに集まり、人口は数万人も増加したのです。

さらに、世界中の会社が金採掘に携わるようになり技術の発達や資源を輸送するための輸送網も発達しました。

金本位制の導入と崩壊

1816年英国で金本位制が確立され、あらゆる商品の価値を表す基準として金貨が用いられるようになり、世界各国に続き日本でも金本位制が始まります。

第一次世界大戦が開始されイギリスはアメリカから大量の武器を輸入せざるを得なくなり、その結果大量の金がイギリスから流出したため、イギリスは金本位制をやめ金の輸出を禁止しました。

他の国も英国に倣い終戦後、各国は金解禁に動いたが、各国の通貨価値は戦前のレートには及ばなかったのです。 

金本位制が始まった当初、イギリスはアメリカへの金の流出を止めることができませんでした。その後の世界恐慌の深刻化による国際金融不安を克服できず、各国は金本位制を止めます。そして、アメリカも1933年に金本位制を止め金本位制そのものがなくなりました。

安全資産としての金

第二次世界大戦後、為替レートはドルを基準に固定されましたが、1917年にアメリカがドルと金の交換を止めました。結果、固定相場制はなくなり変動相場制に変わり、金価格は非常時に大幅に動くようになりました。

金は希少で安定した資産です。株や通貨は大きく値下がりすることがありますが、金は非常時でも急に値下がりすることはまずありません。むしろ、世界経済が不安定になると安定資産の金に投資する方が増えるため、金価格は大幅に上がります。

近年では、リーマンショック、COVID-19の世界的大流行、ウクライナ侵攻などで金の価格は上昇しました。今後も金は「非常時の金」として大きく変化していくでしょう。

【日本】金の価値の歴史

日本における金の歴史はどのようなものなのでしょうか。世界の歴史だけではなく日本の歴史も知ることで金の価値を再確認できます。ここでは、日本の金の価値の歴史を紹介します。

日本で初めて金が発見されたのは8世紀

日本で初めて金が発見されたのは749年で現在の宮城県で発見されました。

752年に建てられた東大寺の大仏が金でメッキされていたということから、当時すでに日本には金があったのだといえるでしょう。しかし、建造中は金メッキに必要な金が不足していたようです。

黄金文化を築いた奥州藤原氏と金の関係

藤原清衡は朝廷への貢物として金を献上し朝廷の信頼を得ました。結果、奥州藤原氏は中央政争に巻き込まれない地位を得ることができました。その後、奥州藤原氏の文化は約100年ものあいだ栄えたのです。

現在でも中尊寺の金堂は有名ですが、建物自体が当時いかに金が豊富に産出されていたかを物語っています。

中国文化を取り入れ金を貨幣にする

中国と交易を盛んに行っていため、遣唐使などの使者は輸入品を求めて何度も中国に渡りました。その際、日本からの輸出品として金粉も加えられていました。

中国では金も珍重され、遣唐使には200両もの金が与えられたとされています。また、僧侶が中国を旅した際には数百両の金銀が与えられました。

日本の金の歴史に欠かせない佐渡金山

佐渡は日本最大規模の金山であり江戸幕府の財政を下支えしましたが、江戸時代中期には次第に産出量が減少します。1869年に明治政府が西洋人の技師を佐渡に派遣し、佐渡金山の発掘を発展させ金山の増産を目指しました。 

政府が導入した新しい設備によって近代化され、技術を学ぶための学校も建設され、さらなる生産の基盤が築かれました。

黄金の国ジパングの真相

東北地方の山間部は鉱物資源が豊富で中尊寺金堂周辺でも金粉が採掘されました。佐渡金山でも金が採掘され、江戸時代には徳川家康が幕府直轄領として本格的な開発を進め、仏像や東大寺大仏、財政に使われました。

なお、遣隋使の時代から中国に滞在費として金粉が支払われていたことや中尊寺金堂が黄金の宮殿として認められていたことは誇張されたものであったと考えられています。

【世界】金貨の歴史

人類の歴史に「お金」という概念が生まれたのは古代文明の時代といわれています。古代メソポタミア文明やエジプト文明では絹や家畜、穀物などの商品が通貨の役割を果たしていました。

古代文明では人々はこれらの商品を売買することで経済活動をしていたといえるでしょう。これは商品貨幣と呼ばれるもので、商品を取引するには商品自体を取引するところに持っていく必要があります。つまり、大きく重い物は取引が難しかったでしょう。

そのため、文明が発達するにつれて商品貨幣ではなく金属を使うようになりました。

金属で作られた硬貨は「鋳貨」と呼ばれ、世界最古の鋳貨は紀元前670年頃です。当時、トルコ周辺にはリディア王国があり、ここで鋳造されたのがエレクトロン貨でした。

エレクトロン・コインは、リディア王国のバクトゥロス川から採取した金粉を使って鋳造された金貨の一種です。「純金」ではなく「数パーセントの銀を含む天然の金」を使用したのだといわれています。金貨に刻印が押され、経済を回す役割を果たしました。

【日本】金貨の歴史

日本最古の貨幣は和同開珎ですが金貨ではありませんでした。ここでは、日本の金貨の歴史を紹介します。

鎌倉時代

鎌倉時代に日本の金貨が誕生しました。

鎌倉時代には鋳造貨幣としては使用されておらず、金粉の状態で袋や竹筒に入れて運ばれ交易の際には重量を測っていました。

室町時代

室町幕府は通貨を造らず、明から通貨を輸入して流通させていました。

戦国時代には西洋との交易も盛んになり新しい貨幣精製方法が導入されました。結果、全国の大名が鉱山の開発に乗り出し、大量に金が産出され多くの金貨が全国に流通したのです。

安土桃山時代

豊臣秀吉は天下を統一し経済統一のため、重さ165ℊの世界で最大の金貨とされる天正大判を鋳造しました。そして、大名と公家の取引は大判を使って行われるようになりました。

江戸時代

家康は金貨と銀貨の製造組織として「金座」と「銀座」を創設し、金貨の通貨単位を定め金貨の繊度や重さも統一されました。当時流通の中心であった小判は純度や重さの基準が決められ鋳造されました。

明治時代

明治時代には日本銀行が設立され、日本銀行は現在も中央銀行の役割を果たしています。

1871年には早くも金融制度に関する法律が制定され、新貨条例が発布、日本では金本位制が確立されました。制度が変わっただけではなく、香港造幣局の設備も積極的に採用されました。

大阪の造幣局は現在も稼働しており現在は貨幣製造のほか、地金の分析試験、証明も行っています。

大正時代

大正時代の日本は金本位制を放棄し兌換不可能な紙幣が発行されました。

つまり、金貨や銀貨のような物理的価値のある標準通貨は発行されなくなり、標準通貨との交換が保証された兌換紙幣も発行されなくなりました。

そして、信用通貨の材料として金以外の金属が使われるようになりました。

大正時代以降、1銭銅貨、5銭ニッケル貨幣、10銭アルミニウム貨幣、10銭ニッケル貨幣、50銭黄銅貨幣、50銭銀貨が鋳造されました。

【歴史から学ぶ】今後の金の価値はどうなる?

金の価値は今後どのように変わっていくのか歴史から見える部分もあります。ここでは、金の価値を見極めるためのポイントを紹介します。

安全資産としての金になる

株式の場合、投資先の会社の業績が下がったり倒産したりすると価値がなくなります。

しかし、実物資産の金は価値が一切なくなることはありません。そのため、世界情勢が不安視される昨今でも金の価値は上がり続けています。

多くの方は投資利益を最大化するためだけではなく、損失をできるだけ減らすためにも投資を行うので、リスクヘッジをしたいときには金は頼りになります。いつ株の価値が下がるかわからない今、金を保有していれば安心でしょう。 

希少性の高い金属になる

金は希少性が高い金属であり、ほかにも銀、プラチナ、パラジウムなどは産出量が少ないうえに採掘や醸造にコストがかかる金属です。

金は宝飾品や工業用に使われるほか各国の中央銀行が外貨準備として保有しています。

現在、金の埋蔵量は約5トンといわれており、希少性の高い金は今後も供給量が大幅に増えることはないでしょう。供給量は限られているなかで需要が高まる可能性のある金は非常に希少な金属といえるでしょう。

有事の金として保有者が増える

世界情勢が変わることも金の価値を大きく左右します。金を持っておくことはさまざまな事態に対するリスクヘッジの役割を果たすため、世界情勢が不安定な状態が続くと金の需要が上がります。

長期的な視点で見れば、金価格は多少の変動はあっても上昇トレンドをキープする確率が高いでしょう。金価格を予測したいときは金価格を取り巻く世界情勢を注視する必要があります。

工業用途として需要が伸びる

金は、電化製品やスマートフォンなどの家電製品、医療機器などさまざまな製品に使用されています。産業用途は金の需要の一部に過ぎないですが、新製品の開発や技術の進歩により今後需要が増加する可能性があります。

加工技術の進歩は工業分野での金の需要を増やし、金の価値をさらに高めるでしょう。

新興国で金投資がさらに盛り上がる

インドは世界最大規模で金を消費しているとされているほか、最も経済成長が著しい国になると予想されています。インドの経済成長により中産階級の人口が全人口の70%を超え世界最大級の金市場になるかもしれません。

つまり、レアメタルである金の供給量が大幅に増加することはなく、少ない供給量に対して需要が大幅に増えれば価値は上昇します。 

まとめ

金が資産として認識されている現在、不安定な世界情勢を背景にその価値は年々高まっています。金価格が変動する要因は複数あるため、情報収集をしながら適切なタイミングで売買をしましょう。

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