ブレトン・ウッズ体制とは
ブレトン・ウッズ体制とは、第二次大戦後に米国を中心に作られ、為替相場安定のメカニズ厶になります。1944年、米国にあるブレトンウッズホテルに連合国の代表が集まって決められたので、「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれています。
これは、第二次大戦の遠因でもあった為替相場切り下げ競争の再発を防ぎ、戦後の復興に欠かせない貿易の円滑な発展のための決済システムを作ろうというものです。基本的には、戦前の金を国際決済手段とする金本位制への回帰ですが、過去と異なる点は、各国通貨と米ドルの交換比率を固定し、ドルだけが金と交換比率を固定するというドルを間に挟んだ金本位制です。これを金・ドル本位制と呼ぶこともあります。
金本位制では各国間の決済が原則的には金で行われていたのに対し、金ドル本位制ではドルで行われたということです。金は紙の通貨と違って貿易量の増加に従って柔軟に流通量を増やすことが出来ないのです。近代以降の経済規模の急速な拡大の前に、金を決済手段とする利便性は大きく低下していました。通貨発行量が拡大しやすい一国の通貨、米ドルが金にとってかわったのです。ブレトン・ウッズ体制の目的は、「世界経済不安によって、二度と世界大戦を引き起こさない」ことと「第二次世界大戦後の世界経済を安定させる」ことだそうです。
世界の為替レートが、安定することにより貿易が活発化し、圧倒的なスピードで経済成長する国が出てきました。その例が日本です。貿易が活発化した結果、世界経済は密接な繋がりを持つようになりました。
ブレトン・ウッズ体制の崩壊
ブレトン・ウッズ体制はそう長くは続きませんでした。
世界中で貿易の取引額が増大していき、さらに西側陣営各国のインフレが進んだこと、1960年代にベトナム戦争などでアメリカ経済が深刻な打撃を受けドル危機が進行したことなどにより、アメリカ1国の金の保有量、生産量では世界のドルと金を交換することができなくなってしまいました。また、日本やフランスなどの国が復興し始めたためドルを基準にした通貨体制は維持ができなくなったのです。
そこで、固定相場制から変動相場制へと移行する分岐点となったのは、1970年8月のニクソン・ショックと呼ばれるドルの金交換停止である。それは当時アメリカ大統領であったニクソンの名前から由来しており、同大統領によってドルと金との鎖が外された出来事である。そして翌年の1971年にはスミソニアン合意が結ばれ、世界の通貨制度は変動相場制に移行することとなる。このスミソニアン体制でブレトン・ウッズ体制を維持しよう試みしましたが、ドルの信用性は急落してしまい、スミソニアン体制も維持することが難しく翌々年の1973年にブレトン・ウッズ体制から始まった固定相場制は終わりを告げてしまいました。
変動相場制によって国際的な資本移動が自由になった結果、その行き過ぎから1980年代にはラテンアメリカの累積債務危機が起こり、1997年にはアジア通貨危機が起きました。さらに今世紀に入って米国の行き過ぎた住宅金融の破綻から金融危機が世界に波及しました。IMFは本来目的とした為替安定に対して機能を発揮できておらず、各国の通貨当局が個別的な対応に追われているのが現状です。
まとめ
ブレトン・ウッズ体制から崩壊について、詳しくご紹介致しました。固定相場制の崩壊の後、各国は現在の変動相場制に移ってきたのです。現代の変動相場制が確立したことで、世界の貨幣価値は安定してきたといえるでしょう。