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本当に日本は黄金の国「ジパング」なのか

本当に日本は黄金の国「ジパング」なのか

皆さんは、かつて東方見聞録で日本が黄金の国と紹介された話を聞いた事があるだろうか。ここでは東方見聞録とは、なぜ黄金の国を呼ばれるようになったのかを掘り下げて紹介していいきます。

そもそも東方見聞録とは

イタリアのベネチアの商人マルコ・ポーロの行った東方旅行(1271‐1295年)の体験談を物語の作者ルスティケロが記録した旅行記のことを指します。

※正式の名前は「世界の叙述 Description of the world」

商人マルコ・ポーロは、小アジア始め、イラン、パミール、東トルキスタン、中国北辺を横断し内モンゴル地区の上都でフビライ・ハンに出会い、そのまま元朝に仕えました。その後、四川はじめ広い地域の中国各地を旅行しインドシナ、ジャワ、マレー、セイロン(スリランカ)、インドのマラバルなどを経由してペルシア湾のホルムズに達しました。

旅行地域の風俗や慣習のほかに中国人の記録にみられない元朝の宮廷内の事情が記されており、またそこで日本を黄金の国をしてジパングChipanguの名で初めてヨーロッパに紹介しています。ただ、マルコ・ポーロが生涯日本に上陸した事実はありません。「東方見聞録」における日本に関する描写は、マルコ・ポーロが中国の商人から見聞した内容を口述したものとして記録しています。

なぜ日本は金が豊かと考えたのでしょうか

一説によると、日本が遣隋使を派遣した際に唐(中国)との交易で大量の砂金で支払っていたことが理由だと言われています。さらに、交易が盛んだった時代に金箔一面で覆われた中尊寺金色堂を岩手県に建立した話が中国の商人に伝わり、日本は黄金を大量に産出できるのではないかという幻想が広がっていきました。

その噂話は、広州に滞在していたイスラム商人にも伝わり、のちにイスラムで黄金の国を指す「ワクワク伝説」として黄金伝説が派生しています。「ワクワク」の語源は日本の古名「倭国」に由来する説が有力です。こうした中国やイスラム商人が持つ日本への幻想がポーロの「東方見聞録」を通じてヨーロッパ全土に広まり、「黄金の国ジパング」という呼び名が定着したと考えられています。

黄金の建物は日本人がイメージする金閣寺ではなく中尊寺金色堂

「東方見聞録」で描かれた黄金の宮殿のモデルは、岩手県平泉にある中尊寺金色堂だと言われています。日本にある「黄金の宮殿」と聞くと、京都の金閣寺を思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし、金閣寺が建立されたのは「東方見聞録」が世に出てから100年後で時代背景と合いません。中尊寺金色堂は、当時「奥州」と呼ばれていた東北地方の統制者だった藤原清衡が建てたものです。金箔をふんだんに使っているため、藤原清衡が自身の豪華絢爛ぶりを誇示するために建てたのではと思われがちですが、実際には、それまでの戦乱の世界を憂い、今後そのような禍がなく平和が続くようにとの願いの下に建てられたと言われています。

「金」が放つ柔らかい光が人の心を静めると考えたのでしょう。残念なことには、藤原清衡も源頼朝に倒されてしまい、また、度重なる火災や戦乱により中尊寺の建物は破壊されてしまいましたが、この金色堂だけは覆堂と呼ばれる周りに造られたもう一つの建物により長い間保護されました。これも「金」故の特権なのでしょうか。ただし、現在の金色堂は復元されたものです。

実際の所、日本で金採掘が盛んになったきっかけは佐渡金山

佐渡金山は1601年、山師により発見された金山です。この佐渡金山が発見されたことで日本での金採掘は急速に盛んになっていきます。金山が発見されるとすぐに徳川家康からの指示で幕府の直轄領として指定され、本格的に金の採掘が始まりました。当時は比較的簡単に採掘ができる方法として「露天掘り」が取り入れられていました。佐渡金山で採掘された最盛期の金の量は年間で400キロでした。この金の採掘はそれから約270年と、江戸幕府が終わりを迎えるまでの間続けられ、徳川幕府の財政を支える収入源となっていました。

実際の所「黄金の国ジパング」は幻想?

マルコ・ポーロっていったいダレ?説も根強く残っています。写本の内容にも多くの違いが見られ、複数のひとが書いたのでは、とも考えられているからです。 東方見聞録のなかにはお茶や箸(はし)などの記載がほとんどなく、中国やモンゴルに滞在していたのに一度も話題にならないの?と指摘する声が多くあります。また、マルコがたどったとされるルートを検証したところ、まったくアテにならなかったというデータもありますので、日本どころか中国にも行ってないのでは?そもそもマルコって実在したの?説まで存在し、ナゾの人物と呼ぶにふさわしい状態になっているのです。

おわりに

今回は、東方見聞録から始まった歴史についてご紹介しました。「黄金の国ジパング」とマルコ・ポーロが証言したのは、恐らく金箔が一面に貼られた「中尊寺金色堂」のことを指していたからでしょう。

しかし、かつて日本でも盛んに採掘が行われていた金は、現代でも価値の高い貴金属として扱われています。長い歴史の中でもその価値が比較的安定し続けていることを思うと、改めて金の価値はやはり大きいものだと分かります。それだけ価値のある金だからこそ今後もその価値は高く評価され続けることでしょう。

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