ゴールドラッシュで一番儲けた人は採掘者ではない?
ゴールドラッシュで一番儲けた人は、採掘者が使うバケツとスコップを売った人です。例に例えると、投資で一番儲けた人は、投資に参加した人ではなく、インフラを提供したり、投資情報を売った人です。顧客がバケツやスコップを求めている地域でバケツやスコップを売れば当然儲かります。もっといえば、採掘者のニーズに沿った商品を作り売れば、間違いなくお金になります。ただ、ずるいという考えかもしれませんが、そうではなく多くの競合が存在するこういったビジネスは難しく成功するか不明確な危険なビジネスです。バケツやスコップをうった人が儲かるではなく、それができる会社だから儲かったのです。
外国人とゴールドラッシュの関係
金が発見された当初は、地表近くにたくさんの金があり、比較的簡単に採掘できたためアメリカ側も中国人の移民に対して寛大でした。しかも中国人の勤勉さが高く買われ、大工、調理人、農業の担い手として歓迎され、中国人が経営するレストランも人気を呼びましたが、地表近くの金がだんだんなくなるにつれ、中国人への風当たりが厳しくなり、「外国からやってきて自分たちの国の金を盗んでいる」とその他外国人(アイルランド人など)との対立、将来的には中国人排斥法1943年で迫いやられる事になりました。1850年には、外国から来て金を採掘した者に対しては20%の税金が課せられました。これに対し中国人達は、チャイナタウンなどを築き団結しました。1853年から1854年にかけて、金鉱も枯渇し始め金の産出量が更に減り、悪いことには、オーストラリアで金が発見されたため、カリフォルニアの金鉱業への不信がつのり、投資もなくなり、カリフォルニアの経済は混沌に陥ってしまいました。金の採掘は、常に土と水にさらされる過酷なもの。作業員の服はあっという間にボロボロになってしまいます。そこに目をつけたのが、ドイツからの移民、リーヴァイ・ストラウスです。彼はちょうどゴールドラッシュの時期にアメリカへ渡航し、家族で織物類の販売をおこなっていました。帆掛け舟や荷馬車に使う幌の厚手の生地に目を付け、まずはこれを直接鉱山業者に販売します。やがて知人からキャンバス布を使って履物を作ったという報告を受けると、資金を提供して友人が編み出した金属鋲の特許を取得。キャンバス布のズボンの作成に成功したのです。こうして出回ったのが、作業用のブルージンズ。水に強くて痛みにくく、またインディゴで染められていたため汚れが目立たないと好評でした。彼の会社は、やがて「リーバイス」と呼ばれる世界的アパレルメーカーとして成長していきます。また、土佐藩出身のジョン万次郎がアメリカにいたのもこの頃。留学生活を終え捕鯨船の乗組員になっていましたが、帰国資金を稼ぐためにゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに向かい、金採掘作業に従事しました。この時稼いだ資金をもとに、万次郎はハワイ経由で日本に帰国。その後の活躍はご存知のとおりですね。
さらに、オーストラリア人エドワード・ハーグレイブスという人物は、まだゴールドラッシュが盛り上がっている1851年にアメリカでの採掘をあっさりと見限ります。オーストラリアにあるシドニーの地形がカリフォルニアに似通っていることに気付き、自国で採掘をはじめました。するとこちらでも大量の金が発掘。流刑地とされていたオーストラリアは一転して優れた国家として認定され、1901年にはイギリスからの独立を果たします。ただアメリカ同様、先住民であるアボリジニの迫害が起こり、発展の裏には大きな犠牲をともないました。
ゴールドラッシュをモチーフにした映画などについて
マリリン・モンロー主演、代表作【帰らざる河】ではマリリン・モンローがシャツスタイルにジーンズファッションという当時では珍しいファッションをしていましたね。このジーンズファッションという作業着がアメリカの文化として過去から現代に伝わる源流は、ゴールドラッシュにより築かれたとも言えます。
まとめ
アメリカで始まった金採掘ブーム【ゴールドラッシュ】は人々に夢と希望と挫折を与えました。
またゴールドラッシュの逸話やゴールドラッシュをモチーフにした作品があるなど人々はゴールドラシュという言葉を一度は耳にした事はあるんじゃないでしょうか?ゴールドラシュの歴史には様々な面白い話があり少しでも興味があれば調べて見てくださいね。