サルヴァトーレ・フェラガモの歴史
サルヴァトーレ・フェラガモは、1927年にイタリアにて創業したラグジュアリーブランドです。創業者のサルヴァトーレ・フェラガモの名を冠したブランドで、靴やバッグなど様々なアイテムが現代においても多くの人に愛され続けています。
9歳にして、妹のために教会の洗礼式に履く靴を作ったのが靴職人としての始まりだと言われており、11歳の時には自宅で靴屋を開業します。そして15歳の時に、兄がアメリカのブーツ工場で働いていたこともあり、その兄を頼りアメリカに渡ります。
その後カルフォルニアに移り、1919年にはカリフォルニア州サンタバーバラで靴の修理とオーダーメイドで製作するお店を開店しました。彼が手がける靴は、この地に住むハリウッドスターたちの評判を集め、1923年には、ハリウッドに「ハリウッドブーツショップ」を開店します。
そこで、映画の衣装としての靴を手がけたり、ハリウッドの名優たちを顧客にします。ハリウッドの名優には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーンなどのハリウッド黄金期に活躍した大俳優が名を連ねました。また、アメリカの大学で解剖学を学んだフェラガモは、履き心地が良くて足が痛くならない靴を開発するための手法を発見し、数百を超える特許を取得しました。
フェラガモが作る足に優しいデザインの靴はハリウッドスターを中心に高い支持を集め、スターの靴職人と呼ばれるほどの大成功を納めます。ハリウッドではサルヴァトーレを「スターの靴職人」と呼び、その名声は揺るぎないものとなりました。
アメリカで成功したフェラガモは、その後生まれ故郷のイタリアに帰国し、自身のブランドを立ち上げます。この頃エジプト考古学の発掘品に影響を受けデザインされた、今も人気の「サンダル」が発表されています。しかし、時代は世界大恐慌の真っ只中、フェラガモ(Ferragamo)もその大恐慌のあおりを受け1933年に倒産してしまいます。
失意のサルヴァトーレでしたが、ハリウッド時代からの顧客や、各国の上流階級の顧客からの支援を受け見事に復活を遂げることになります。そして、1938年には、フィレンツェの歴史的建造物であるスピーニ・フェローニ宮殿を購入し、そこに工房とフィレンツェ本店を置きます。しかし、またしても彼には時代の荒波が待ち受けていました。それは第二次世界大戦で、当時のイタリア・ムッソリーニ政権下では、皮革や金具などの靴を作るうえで必要な材料が手に入らなくなったことです。
それでもサルヴァトーレは、この逆境をチャンスへと変えていきました。新しい素材として、コルクやセロファンを試し、ここから生まれたのが、今もフェラガモ(Ferragamo)の定番スタイルである「ウェッジソール」です。
コルクを利用することで軽量化し、土踏まずを支えて体のバランスを安定させるこのシューズを発表したちまち人気を博します。靴職人として名声を集め、様々な層の顧客を世界中で獲得したフェラガモの定番アイテムといえば、つま先の見えない靴と呼ばれるウェッジヒールを用いたパンプスやサンダルです。
そして、1960年にフェラガモが死去した後は家族に受け継がれ、いまでは、靴に限らず、バッグや財布、香水などを幅広く展開するトータルファッションブランドとして確かな地位を築いています。
フェラガモの代表作について
フェラガモの代表作といえば、今でも様々なファッションシューズに使われている「ウェッジヒール」や「プラットフォーム」が挙げられます。
つま先とかかとの高低差を少なくして制作されたこのデザインは、ハイヒールならではの優雅な見た目を損なうことなく足にかかる負担を軽減し、安定感も向上するなど様々な面でメリットがありました。
現在でもプラットフォームやウェッジヒールを用いたパンプスやサンダルは数多く存在し、様々な女性がその履きやすさの虜となっています。みなさんもご存じのマリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンなどの、多くの有名な女優が愛したことでも有名ですね。
フェラガモの歴史でいえば、甲部を透明なナイロンの糸で覆った「見えない靴」も高い評価を得ています。1947年に発表された前衛的なこの靴は時代の象徴として高い評価を獲得し、米国のファッションにおける最高賞であるニーマン・マーカス賞を受賞します。
この「見えない靴」は現在もフィレンツェのフェラガモ美術館に展示されており、数多くの愛好家が訪れては感銘を受ける逸品として知られています。また、1951年には、取り外し可能なソックスが一体となったサンダル「キモ」、1954年には、女優オードリー・ヘプバーンのために製作した、ストラップ付きスエード素材のバレリーナシューズで、後に平底の定番スタイルのひとつとなる「フラットフォーム・ソール」などが代表的なものとなります。
また、その一方で、ただデザイン性に富んだ作品を作るだけではなく、彼の靴作りの根本となる信条は、足にフィットする履き心地の良い靴作りを追求することであり、足の構造に基づいたそのフィッティングは「奇跡のフィッティング」と呼ばれ、客の足に触れただけでその人の体調が分かったという話が残るほどでした。
洗練されたデザインと履き心地の良さを追求し、デザイナーとしての感性と職人気質を併せ持つサルヴァトーレ・フェラガモを、後に人々は「夢の靴職人」と呼ぶようになります。
フェラガモのアイコン的存在「ヴァラ」
シューズが有名なフェラガモのパンプスのなかでも、アイコン的な存在と言えるヴァラではないでしょうか。それもそのはず、これまでのヴァラの販売累計数は、なんと100万足を超えています。フェラガモは、シューズのデザイン性を追求しながらも、履きやすさ・心地よさを諦めず、「先端はとがり過ぎず、丸みを帯びているべき」、「ヒールは高すぎないほうがよい」という結論に達します。
その結論に用いられた、ヴァラの丸いシルエットはフェミニンさを強調し、歩きやすいヒールはレディアイコンとしての役割も十分果たしています。ヴァラのデザインの特徴となるのは、やはりグログランリボンと呼ばれるワイドな形のリボンでしょう。中心部にはフェラガモの刻印が入った、上品なゴールドのメタルプレートが用いられ、大人かわいい印象を与えます。ヒールが高いパンプスは脚を美しく見せてくれますが、女性の脚に負担がかかり長時間歩きにくいデメリットがあります。ヴァラはヒールをちょうど良い高さにしたことで、美脚キープはもちろん履きやすさがより追求されています。
今もなお、続々と新作が登場するヴァラコレクションですが、その人気はパンプスに限らず、バッグや財布もおなじみのグログランリボンが可愛くあしらわれていて、今もなお、続々と新作が登場するヴァラコレクションですが、その人気はパンプスに限らず、バッグや財布もおなじみのグログランリボンが可愛くあしらわれていて、人気を集めています。
フェラガモの代表的アイテム「ガンチーニ」
フェラガモの代表的アイテムの一つである「ガンチーニ」は1969年に初めてフェラガモの歴史に登場しました。ガンチーニとは小さなフックという意味の言葉で、ハンドバッグなどの留め金具としての機能を持ちあわせたモチーフです。ガンチーニを見れば「フェラガモ」とわかるといった方も多いのではないでしょうか?これはフェラガモの本店でもあるスピーニ・フェローニ宮殿の扉の引き手からインスピレーションを得ているそうです。
留め金具という概念にとらわれることなくハンドル部分がガンチーニであるものなど、素材やディテールにとらわれることなく、今なお進化を続けるデザイン性がこの「ガンチーニ」の魅力と言えます。また、留め具としてだけではなく、モチーフとして刻印されたり、ファスナー金具、ガンチーニデザインそのものがバッグのハンドルとなったりと様々なバリエーションが生み出されています。1950年代に初めて登場して以来、変わらぬ人気を誇っています。
まとめ
人々を魅了し多くのセレブや有名人に愛されているサルヴァトーレ・フェラガモは今なお進化を続けています。2014年には日本初となる公式オンラインストアをオープンするなど、あくなき挑戦は留まるところを知らないこれはいくつもの困難に阻まれ倒産という大きな壁にぶつかりながらも、幾度となく挑戦を続け、地位を築いていったサルヴァトーレ・フェラガモの精神が受け継がれていると言えるのではないでしょうか。現在は、同族経営の会社としてサルヴァトーレの長男であるフェルッチオが社長を務め、3世代目候補として一族の子どもたち23人の中の3人だけが、フェラガモで働くことを許されているそうです。
今や世界有数の総合ファッションブランドに成長したフェラガモですが、「履きやすい靴」を追求した創業者サルヴァトーレのDNAは、時代の変化を捉えながらも全てのコレクションで継承されています。