モードに愛されたイヴ・サン＝ローラン
イヴ・サン＝ローランは1936年フランス領アルジェリア生まれのデザイナーです。裕福な中流階級の家庭に生まれ、幼少期より母親のドレスに興味をもつなど、感性の豊かな少年だったそうです。そんな彼のデザイナーとしての才能は、学生時代から抜きんでていました。通称“サンディカ”と呼ばれるファッションの名門校「パリ・クチュール組合学校」に在学中、国際羊毛事務局主催のデザインコンクールのドレス部門で優勝します。
その才能はファッション誌ヴォーグのエディターの目に留まり、当時オートクチュールにおいて新たな潮流を創り上げ、最も勢いのあったクリスチャン・ディオールへ引き合わされます。そうして、メゾン・ディオールで、クリスチャン・ディオールの右腕として活躍しますが、ムッシュ・ディオールは1957年突然この世を去ります。突如として主を失ったメゾン・ディオールは窮地に立ちますが、イヴ・サン＝ローランが主任デザイナーとして発表した「トラペーズライン」は拍手喝采を浴び、イヴ・サン＝ローランがディオールを救ったと讃えられました。
ディオール退任と自身のブランド設立
ディオールを救ったイヴ・サン＝ローランですが、祖国アルジェリアでの独立戦争が勃発し、フランス軍から徴兵されてしまいます。繊細な感性の持ち主の彼に戦争はあまりに酷で、兵役によって精神を病んでしまいます。
しかし、病を克服したイヴ・サン＝ローランは生涯のパートナーとなるピエール・ベルジェ、友人でアメリカの資産家マック・ロビンソンの支えにより1961年、自身のブランド「イヴ・サン＝ローラン」を設立します。イヴ・サン＝ローランはメゾン創設から間もなく、時代を象徴する革新的なルックの数々を発表していきます。時代の流れを鋭敏に捉え、精神的にも女性に寄り添ったデザインの数々は、カトリーヌ・ドヌーヴやベティ・カトルー、ルル・ド・ラ・ファレーズなどのミューズの魅力と相まって、世の女性たちの市民権を勝ち取ります。
モンドリアンルック
1965年秋冬コレクションで発表されたオランダの画家、ピエト・モンドリアンの作品にインスピレーションを受けてデザインされたイヴ・サン＝ローランの代表作の一つです。1960年代はオートクチュール（高級オーダーメイド）からプレタポルテ（既製服）への過渡期ともいえる時代で、一流のデザインが民主化していく潮流がありました。そんな中で女性服には動きやすさが求められ、ミニマリズムへとトレンドが遷移していきます。
この流れを象徴しているのがミニスカートです。このモンドリアンの絵画的構図を映したワンピースも的確にその流れを捉えており、膝上丈の装飾のないシンプルなフォルムが当時鮮烈な存在感を放ちました。イヴ・サン＝ローランは芸術を深く愛し、マティスやピカソ、ジョルジュ・ブラックなどにオマージュを捧げた作品も製作しています。アメリカンポップアートを代表するアンディ・ウォーホルとも親交があり、彼はイヴ・サン＝ローランの肖像画を手掛けています。またモンドリアンルックとともに流行したロジェ・ヴィヴィエのパンプスも当時を象徴するファッションアイテムとなりました。
スモーキング
イヴ・サン＝ローランは、男女の性差を取り払った、ユニセックスなデザインを先駆けてモードに持ち込んだデザイナーとしても知られています。その象徴的な作品が1966年春夏に発表されたスモーキングスーツです。スモーキングスーツは男性のタキシードスーツを女性の装いとして再解釈したもので、女性の夜の装いがドレスと決まっていた時代に、全く新しい選択肢の提案となりました。
現在の女性用パンツスーツが普及しているのも、スモーキングスーツがウィメンズファッションに大きな一石を投じたおかげであると言えるでしょう。また、女性の装いに機能性が求められたという時代性も、女性服においてパンツスタイルを受け入れる土壌が育っていたと考えられます。
サファリルック
イヴ・サン＝ローランは、エレガンスの多様なあり方を服作りで体現していたデザイナーともいえるかもしれません。その証拠が1968年春夏で発表されたサファリ・スーツです。これは男性用の狩猟服に着想を得て発表されたもので、当時のモードシーンにおいて、スモーキングにつづく革新的な挑戦でした。狩猟着の機能性と、レースアップなどのフェミニンな繊細なディティールを絶妙なバランス感覚で形にしており、狩人という荒々しさすら感じるテーマを、パリジェンヌのマストハブにまで昇華させた価値観の逆転に、イヴ・サン＝ローランの意匠を感じます。またサファリルックは、イヴ・サン＝ローランがアフリカなどのエキゾチックな要素にしばしばインスピレーションを見出していたことを象徴しているマスターピースでもあります。
サンローランの現在
イヴ・サン＝ローランは2008年にその生涯を閉じました。その訃報には世界中が悲しみ、フランスで執り行われた告別式には往年のミューズ、カトリーヌ・ドヌーヴやフランス大統領、デザイナーのジャン＝ポール・ゴルチエや、LVMHの代表ベルナール・アルノーなどが参列しました。ファッションメゾンとしてのイヴ・サン＝ローランは、20世紀末から21世紀頭にはトム・フォードやステファノ・ピラーティによってセクシーで自立した女性像が打ち出されてきました。
そして2012年エディ・スリマンをアーティスティックディレクターに迎えるとメゾンは大きな転換期を迎えます。エディ・スリマンはイヴ・サン＝ローランがプレタポルテを始めたころの原初に立ち返るという意味を込めて、「サンローラン・パリ」とブランド名を刷新し、黒を基調とした新たな世界観を提示します。そうした大改革の中でも、サファリジャケットやスモーキングなど、ムッシュイヴ・サン＝ローランへのオマージュを忘れることなく、エディ流のトラディションで、サンローランを2010年代を牽引するブランドへ返り咲かせます。その後、2016年にエディ・スリマンが退任すると、現在もディレクションを手掛けるアントニー・ヴァカレロがサンローランを引き継ぎます。
アンソニー・ヴァカレロはエディが築いた凛々しくアンドロジナスなスタイルを継承しつつも、自身が得意とする絶妙なバランス感のドレスなど、新たな境地へとサンローランを導きます。彼は服にとどまらず、「リヴドワットRivedroite」と題したアートピースを展開するラインを発表するなどクリエーションの裾野を広げていきます。
最新の2023年秋冬コレクションでは、存在感のあるスクエアショルダーが印象的な、マニッシュなスーツジャケットの要素を象徴的に取り入れたスタイルを打ち出しました。これはメゾンのDNAであるスモーキングの現代的な解釈であるとともに、ビッグショルダーという、モードシーンにおける新たなの風向きを感じさせました。ここ数年のサンローランでのキャリアの中で、アンソニー・ヴァカレロが研ぎ澄増し続けてきた“エレガンス”の一つの集大成といえるコレクションでしょう。
まとめ
第二次世界大戦後に急速に発展したモードの最先端を切り開いたデザイナー、イヴ・サン＝ローラン。彼のクリエーションは、モンドリアンルックやスモーキングなど、20世紀後半のファッションの基盤となったといっていいほどに、記念碑的なマスターピースの数々を生み出してきました。その気鋭のエレガンスは、エディ・スリマンやアンソニー・ヴァカレロなど、現代のヴィジョネア（予見者）達によって現在のメゾンにも受け継がれています。
