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エディスリマンの軌跡

エディスリマンの軌跡

今やファッションホリックなら誰もが知っているアーティスティックディレクター「エディスリマン」。ディオールオムでメンズモードの新たなワードローブを生み出し、サンローランの再生、セリーヌの躍進とファッションを知るうえで欠かせない存在です。ここでは彼の歩んだ道のりを紹介していきます。

幼少期

エディスリマンは1968年7月5日のパリ19区でチュニジア人の父親とイタリア人の母親の間に生まれました。

彼はかなりの秀才で国際標準教育分類ではレベル6と世界的に見てもかなり難易度の高い高等職業教育機関”Grandes Ecoles(グランゼコール)”に属する名門校「パリ政治学院(通称Science-Po)」に在籍していました。

どのぐらいレベルが高いかと言いますと「ハーバード大学」「オックスフォード大学」と肩を並べるレベルです。

その後「ルーブル美術学校」で「美術」「美術の歴史」を学びますが、ファッションデザイナーとして大切な「洋服作り」に関する知識は殆どない状態です。エディのファッション業界でのキャリアのスタートは1992年、”Jose Levy(ジョゼレヴィ)”でファッションディレクターとして2年間勤めました。

その後、ファッションコンサルタントの重鎮であり”UNIQLO(ユニクロ)”や”HERMES(エルメス)”などを顧客にもつ”Jean Jacques Picart(ジャンジャックピカール)”のアシスタントを1994年から1997年までの3年間務めます。

エディはこれまで自分に合う服がなかったと感じていたために服作りをしていたのに対し(このころにはすでにアイコニックな細身のシルエットが完成してた)、ピカールの下で独学では学べないすべてを学んだといいます。

イヴ・サンローラン

そんなエディは1996年、経営者でもありイブの恋人でもあったピエール・ベルジュによってイヴ・サンローランのメンズウェア・ディレクターに抜擢されます。

「クチュール・オゥ・マスキュリン(男性クチュールの回帰)」という精神を体現し、イヴ・サンローラン・リブ・ゴーシュ、メンズプレタポルテラインの再生を図ります。

彼は2000 F/Wのブラック・タイ コレクションで注目を集めました。ここでは、細いラインと細いウエストでシャープに仕立て上げた、新しいスキニーシルエットが打ち出されます。

エディは”グッチ”がサンローラン買収をしたことによってサンローラングループを去ることになります。去った後はクンストヴェルケ現代美術研究所に滞在し、最初の写真集「ベルリン」をリリースします。

ディオールオム

2001年、”Christian Dior(クリスチャンディオール)”は”Christian Dior MONSIEUR(ディオール・ムッシュ)”に変わるメンズラインの構築、”Dior Homme(ディオールオム)”の立ち上げを計画していました。

エディのディレクター就任とともにスタートした”Dior Homme(ディオールオム)”は、その唯一無二のスタイルとデザイン性の高さでカルト的人気を誇ることとなります。

エディのスタイルは超細身のシルエットが特徴的です。この源流にあるのはロックへの愛です。例えば、すでにアイコニックなアイテムと化している脚に張り付くほど細いスキニーパンツ。

これは今ではロッカーの定番アイテムとなっていますし、バイカージャケットに関して言えばバイカーの服だったのが、映画「乱暴者」でのバイカージャケットにジーンズとブーツというスタイルが人気を呼び、ストリートファッションとして定着しました。

スーツ姿もビートルズに代表されるようなネクタイ姿のスタイリッシュなスタイルもロックの代名詞となっています。

エディが提案するスタイルというのはこうしたロッカーたちが愛用するアイテムを独自の観点で再解釈し、ラグジュアリーアイテムとして再提案しているということなのです。

これまでのラグジュアリーブランドにはなかったスタイルが若者に受け、新たな層にまで人気を広げることになりました。エディは2005年に今までの集大成とも呼べるモード寄りのファッションを打ち出します。

立ち上げから約7年が経ち、ディオールオムを退任することとなります。その後ディオールオムのクリエーションはクリスヴァンアッシュに受け継がれ、今のキムジョーンズに至っています。

ディオールオムを去ると、2006年エディはオンライン写真ブログを立ち上げます。そこにはミュージックスターや素人のスタイリッシュな人々を特集しています。

サンローランへ

そして、2012年にエディはイヴ・サンローランへと舞い戻ってきました。メンズだけでなくレディースを含めたサンローランにおける全デザインを担当する権限を持ったのです。

イヴ・サンローランの残した伝統を継承しながらも、新しいサンローランのスタイルを確立していくその姿はまさに生ける伝説となっています。

はっきりいってエディによってサンローランは生まれ変わり、ブランド価値自体も大幅に向上、そして若者たちにも受け入れられるラグジュアリーブランドとしてその地位を確立したといえます。

就任に合わせ、エディはさまざまなブランド改革を実施しました。グラフィックデザイナー”Adolphe Mouron Cassandre(アドルフムーロンカッサンドル)”による”YSL”のロゴイメージが強かった”Yves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)”をヘルベチカの”SAINT LAURENT(サンローラン)”に改名し、アトリエをLAに変更します。

この変更に対し、ブランドを自分のものにするエディの横暴だと非難する声もありましたが、そんなことはありません。

この変更というのがサンローラン・リフォーム・プロジェクトの核となるリヴ・ゴーシュの原点への回帰なのです。ヘルベチカを使ったロゴというのは、1966年にサンローラン・リブ・ゴーシュを立ち上げた時と同じものです。

そして名前のサンローランというのもリブ・ゴーシュからとったものなのです。要するにブランドを自分のものにしようという考えではなく、リブ・ゴーシュの当時のコンセプト、原点に立ち返るために当時と同じロゴを採用したということなのです。

エディのサンローラン復帰後の最初のコレクションは、2013年の春夏レディースコレクションでした。

このコレクションには、ケイト・モスやマーク・ジェイコブス、ヴィヴィアン・ウエストウッド、アレキサンダー・ワンといった大物デザイナーも多数訪れ、一種異様なほどの注目をあつめるものでした。

それもそのはず、エディのサンローラン復帰後ファーストコレクションというだけでなく、彼の手掛ける最初のレディースコレクションという意味合いもあったのです。このコレクションでのファーストルックはスモーキング。

スモーキングとは1960年代にイヴ・サンローランが発表したタキシードを女性用スーツにアレンジしたまさにサンローランのアイコン。これを最初に持ってきて、さらにコレクションはほとんどが黒でまとまったボヘミアンテイストというものでした。

次のコレクションはメンズ・コレクションでしたが、この時のファーストルックもスモーキングを持ってきており、このことからいかにエディがムッシュ・イヴ・サンローランを崇拝していたかが分かるでしょう。

エディのコレクションは、独自スタイルばかりが目立ち、エディのブランドと揶揄されることもしばしばですが、実はそうではなくムッシュ・イヴ・サンローランの魂を受け継いでエディなりの解釈を加えているだけなのです。

エディは当時ロサンゼルスを選んだ理由として大衆文化や音楽芸術に与える影響が大きくなっていたこと、そしてカリフォルニア周辺の美学を再定義しようと言う考えがありました。

さらにロゴ論争に関しても、YSLのロゴはかなり人気だったため賛否両論分かれていました。だが結果として音楽シーンと密接な関係を表現してきた彼の商業的成功は数字として現れておりサンローランの収益は毎年20%以上も増加していたと言います。

もうひとつの改革が「パーマネントコレクション」の常設。スモーキングやバイカージャケット、フリンジ付きのジャケット、デニム、トレンチコート、スニーカー、Tシャツといったアイコンや定番となっているアイテムはシーズン問わず、また世界中のどの店舗においても常に店頭に並んでおかなければならないというルールを作りました。

これによっていつでもどこでもパーマネントコレクションを買うことが出来るという状態を作りだしたのです。

パーマネントコレクションの常設と共にショップデザインも生まれ変わりました。デザイン自体もエディが手がけ、黒と白の織りなすモノトーンを貴重としたエディの世界観と共鳴する空間へと変貌しました。

また、ウェブサイトに関しても刷新しており、オンラインストアも開設し、世界30カ国からのウェブ上でのオーダーが可能になりました。フォトグラファーであるエディの撮りおろしキャンペーンの写真も掲載され、コミュニケーションの在り方に関しても大幅な改善が図られています。

こうしてサンローランというブランドの原点に気を配りつつも、ブランドとしての基礎固めも平行して行い、ラグジュアリーブランドとしての礎をしっかりと築いていくという緻密なブランド戦略を行っていきました。

こうしたエディのスタイルはシャネルにおいてココ・シャネルの魂を継承しつつ、新しいシャネルを創造した皇帝カール・ラガーフェルドに通じるところがあるようにも思えます。そんな大改革を成し遂げたエディは2016年、多くの人に惜しまれながらサンローランを去ります。

セリーヌ

そして2018年エディがクリエイティブディレクターとして就任した”セリーヌ”のショーが行われました。“あのエディが戻ってきた”などと注目を集めていたショーなだけに、どのブランドでも”エディ節”炸裂というのは業界関係者たちからの評価はさまざまでした。

しかし彼は老舗ブランドの大胆な改革を行いながら、確実に売り上げも伸ばしてきた実績があるデザイナーです。

新生セリーヌ。敏腕フィービーファイロの後任ということでかなりスタイルが異なるが、それに対してエディは正直に異なるということを宣言しています。

だが、前セリーヌの逆を行かないとも答えており「お互いに尊重するということはあらゆる人の誠実さを保ち、正直で識別力がなくてはならないということ。あなたはあくまでも自分でなくてはならない。」というようなコメントをしています。

一貫性、厳密さ、正確さ、これはエディにとって意味のあることであり、セリーヌでも継続して表現されます。実際のコレクションではご存じの通りエディのシルエットがそこにありました。

しかし、現代との絶妙なミックスも同時に存在していました。ストレートやフレアやジーンズのあの雰囲気とシルエットは彼が愛した60、70年代のロスの雰囲気であったりサーフカルチャーを研究した彼だからできた技です。エディの手掛けるセリーヌは今後も目が離せません。

まとめ

世界中の人々を虜にするエディ・スリマン。彼が生み出してきた作品は、時代を超えて人気があり、過去のアイテムに対してもファンたちの熱狂は続いています。

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