セイコーのあゆみ
「セイコー」の始まりは1881年。かの有名な「ロレックス」の操業が1905年と、歴史の長さを比べてみてもスイスの名門に引けを取りません。セイコーは創業後、瞬く間に技術力を高め、1911年には国内時計生産量の60%を占めるまでに成長します。
また、第二次世界大戦後には、時計の本場・スイスに挑戦します。機械式腕時計の分野でも安価な「セイコースポーツマチック・ファイブ」が世界中で大ヒットしたり、高名な時計コンクールで好成績を収めたりと、国内にとどまることを知らず、世界での存在感を高めていきました。
そして、世界初のクォーツ式腕時計を発売し、腕時計の電子化の流れを作ったのも実はセイコーなのです。決して派手ではありませんが、技術に対する先進性や真摯なモノ作りの姿勢は、時計大国スイスにおいても認められており、世界中に多くの“セイコー信者”が存在するまでになっています。
その後も世界初のGPSソーラーウォッチ『アストロン』の発表やゼンマイ駆動ながらクォーツ式の正確さを併せ持つ「スプリングドライブ」の開発など、腕時計業界において革新的な業績を数多く打ち立ててきました。
1969年にセイコーは、世界初のクォーツ式腕時計「アストロン」を発売しました。当時、高価なゼンマイ式腕時計が主流だったため、低価格かつ正確なクオーツ式腕時計が登場し、次第にその人気が増したことで、全盛を誇っていた海外の時計メーカーが全滅するなど世界の時計産業は破壊的なダメージを受けた、時計史における革命的な出来事で、クォーツショックと呼ばれています。
それまではスイスの定めたクロノメーター規格のモノでも平均-5~+8秒程とされていた日差を、月差±3秒以内に収めるという前代未聞の高精度を誇っていたため、当時の衝撃は相当なものでした。
セイコーはクォーツの特許を開放したため、この電子化された腕時計は爆発式に普及し、何百年と続いてきたスイスを中心とするヨーロッパの伝統的機械式時計産業が一時的に衰退に追い込まれたクォーツショックにより、セイコーは永遠に時計史に刻まれることとなったのです。
セイコースポーツマチック・ファイブとは
1963年、セイコーは「セイコースポーツマチック・ファイブ」を発売しました。実用機能(中3針・デイデイト(日付/曜日)・自動巻・防水)をフル装備し、価格が手頃で斬新なデザインの腕時計「ファイブ」の登場は時計市場で衝撃的でした。人々からの圧倒的な支持をうけ、発売直後から爆発的な大ヒットした商品です。
セイコーはこのスポーツマチック・ファイブ発売の翌年、1964年に開かれた東京オリンピックの公式計時を、革新的な計時装置を開発して大成功裏に終わらせたことにより、全世界にセイコーブランドの技術力の高さが認められ1965年から「セイコースポーツマチック・ファイブ」の輸出が急速に拡大し、1966年のセイコーファイブの輸出数は、スイス全体の自動巻の数を上回ったとされています。
この世界的なヒットは「自動巻腕時計の大衆化」をもたらし、「セイコースポーツマチック・ファイブ」の仕様とスタイルは以降の実用機能腕時計のスタンダードとなり、現在に至っています。
セイコーのオリジナル機構
1959年、セイコーは全く新しい自動巻機構「マジックレバー」を開発し、マーベルに初めて搭載しました。この”マジックレバー”とは、セイコーの登録商標で、一般には”爪レバー方式”のことをいいます。原理としては、腕の動きで左右両方に回る回転錘の運動を、偏心ピンと一体となったマジックレバーで往復運動に変換することにより、歯車を常時一方向に回転させ、ゼンマイを効率的に巻上げています。
そして、このオリジナル機構を洗練し、「セイコースポーツマチック・ファイブ」に搭載します。スイスを含め、当時の自動巻機構は「切換伝え車方式」や「遊星車方式」と呼ばれる複雑で高価な機構でした。
高価な機構なため、限られた人にしか持つことができなかった自動巻機構ですが、セイコーの「便利な自動巻機能を広く世界の人々に使っていただきたい」という考えのもと、全く新しい自動巻機構の開発に取り組みました。そして完成したのが、部品点数が少なく、信頼性の高いシンプルな自動巻機構「マジックレバー」でした。
この機構の開発によってそれまで高価だった自動巻腕時計が手ごろな価格になり、「セイコースポーツマチック・ファイブ」の発売を契機に世界中で自動巻腕時計の大衆化が進むこととなりました
ファイブの魅力
当時、「日付」は3時位置、「曜日」は6時位置あるいは12時位置のレイアウトが一般的で、ファイブ設計段階でもデイデイトの位置は同じレイアウトでした。
ファイブの当時にしては斬新なデイデイト表示機構は、デザイナーから「日付と曜日を3時位置の一つの窓に納め、すっきり見やすい新しい顔をつくりたい」との提案があり、カレンダー周りの機構の設計変更や英語表記の簡略化等の課題を乗り越えて実現したのです。
また、この機構は見やすいだけでなく、腕時計の新しいデザインの創造につながりました。発売当初は東京オリンピックを翌年に控えていため、曜日は英語表記のみでしたが、それ以降はこの独自のカレンダー機構の特性を活かし、「英語と日本語」の2ヵ国語を表示、さらに3ヵ国語表示へと進化したことにより、世界中で大好評を得ました。
このほかにも、ファイブの魅力として「全面防水化」があります。現在は腕時計の「防水」は当たり前の機能ですが、当時は「時計は水に弱い」が常識でした。海水浴で腕時計をつけていると“時計をつけたままでいますよ!”と親切に注意された時代で、もちろん防水腕時計もありましたが、当時の防水時計は厚くてごつい「特殊な腕時計」という時代でした。
ファイブのターゲットは活動的な若い人を対象としたので、いつでもどこでも使えるようにと「全面防水化」が商品企画の重要でした。そのため、ファイブでは当時あまり使われていなかった錆びにくいステンレススチール材を、外装ケースの標準素材に選定します。そして、最大の課題が「中3針・デイデイト・自動巻」というフルスペックのムーブメントを如何にコンパクトな“防水”ケースサイズに収めるか、でした。
その時、同時期に進めていたケースとダイヤルの新しい寸法体系「SEIKO外装ミリ規格」を採用することにより、幸いにも高精細な外装設計が可能となり、コンパクトで精密な外装ケースの製作に大きな威力を発揮しました。「デイデイト一体窓」の機構設計にもこのミリ規格が大きな役割を果たしています。ステンレススチール材が珍しかったのは、当時の腕時計の標準バンドは革バンドか汗・水に強いナイロンバンドが殆どだったのです。
しかし、ファイブでは全面防水化が商品企画の大きな狙いであったため、バンド素材にケースと同じステンレススチールを全面採用することにしたのです。腕にフィットさせるためのサイズ・アジャスト方法等の開発などにより、防水腕時計にふさわしい外観と性能を備えた丈夫なバンドが実現しました。さらに、この金属バンドの標準装備は、「活動的な若い人のための斬新な腕時計」というイメージを印象付けるための重要な要因のひとつでした。
また、この当時の腕時計の故障の多くは、「落下衝撃による止まりや動力ゼンマイの切れ、へたりによる巻上げ不能でした。しかし、ファイブでは耐震性に優れた衝撃吸収装置“ダイヤショック”、切れない・へたらない特殊合金のゼンマイ材料“ダイヤフレックス”の採用により、信頼性・耐久性が一段と高まった結果、ファイブは頑丈な時計として世界から認められるようになり、“品質のセイコー”のイメージが世界に定着したのです。
まとめ
世界の時計産業に破壊的なダメージを与え、時計史における革命的な出来事になったクォーツショックにより、その名を永遠に時計史に刻んだセイコーのスポーツマチック・ファイブは世界の自動巻腕時計の大衆化を牽引し、セイコーの時計事業拡大に大きく貢献しました。さらに、その後のセイコーの商品開発・販売戦略に影響を与えるなど、セイコーの歴史の上で大きな意義をもつマイルストーン製品なのです。世界に“品質のセイコー”とイメージが定着しているだけあって、今後も高品質な時計が登場してくることでしょう。とても楽しみですね。