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コレクターが愛する伝説のムーンフェイズモデル
Ref.6062は、ロレックスの非常に希少なビンテージ時計のリファレンスナンバーです。
1950年代に製造されたこのモデルは、「Triple Calendar Moonphase(トリプルカレンダー ムーンフェイズ)」と呼ばれ、日付、曜日、月、そしてムーンフェイズ(月齢)を表示する複雑な機能を備えています。
月光を宿したロレックスの名作
Ref.6062は特に人気が高く、コレクターの間では高い評価を受けています。その理由の一つに、このモデルが自動巻きムーブメントとムーンフェイズ機能を組み合わせた数少ないロレックスのモデルの一つである点が挙げられます。
また、ステンレススチール、イエローゴールド、ローズゴールドの3種類の素材で製造されました。特にブラックダイヤルのモデルは希少で、オークションで非常に高額で取引されることがあります。
「最後の皇帝」バオ・ダイ
Ref.6062~を語るうえで重要なバオ・ダイという人物について解説します。
バオ・ダイはベトナム最後の皇帝であり、この国を支配した最後の一族であり、13代にわたって続いた偉大な阮朝(グエン朝)王家の最後の1人になります。
1926年から1945年の間、バオ・ダイ(この名は“偉大さを維持する者”を意味しており、彼はグエン・フク・ヴィン・トゥイとして生まれた)は、安南(フランス統治時代のベトナム北部から中部を指す歴史的地名)の皇帝として在位し、それからフランス領インドシナも治めました。
この地は現在のベトナムの3分の2にあたる。公式に皇帝の座を継いだのは彼が12歳であった1926年ですが、治世を始めたのは1932年からになります。
バオ・ダイは幼少期の多くを教育を受けるためにフランスで過ごし、18歳の時に国を治めるために戻りました。20歳で結婚し、5人の后妃と5人の子どもをもうけました(そのうち3人は最初の妻との婚姻期間中に結婚)。
第2次世界大戦中、日本がフランス領インドシナに侵攻した際、バオ・ダイ率いる政府は占領軍に説得されたことから、フランスからの独立を宣言しました。日本が降伏した後、ホー・チ・ミン(ベトミン独立同盟会のリーダー)は、バオ・ダイと日本との繋がりを指摘して、皇帝の座を退くことを納得させました。
しかしながら、彼はホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国政府の最高顧問の地位を与えられましたが、1940年代後半にこの地域で大きな紛争が起こったため、その地位は長くは続きませんでした。バオ・ダイは、そのほとんどの時間を香港やヨーロッパで過ごしました。
1949年、彼はフランスから再び権力の座に就くことを求められましたが、その肩書は皇帝ではなく“国家元首”というものでした。 1954年の春、バオ・ダイは、朝鮮戦争での衝突につづく問題を解決し、そしてインドシナの今後について話し合うためにジュネーヴでの会議に参加しました。
韓国の問題については大きな成果がなかった一方、ジュネーヴ協定ではベトナムを2つの国に分け、北部はベトミンが統治し、南部を統治するベトナム国では、バオ・ダイが指導者となりました。しかし、共和国政府の樹立とバオ・ダイの解任を求める国民投票が1955年に可決され、彼はその後の人生を海外(主にフランス)で過ごしました。
しかし、ジュネーヴ協定成立の前にバオ・ダイはちょっとした買い物をしていました。これは本当の話なのです。
彼の国を2つに分断することになったジュネーヴでの話し合いの間に、彼はホテル・デ・ベルク(現在のフォーシーズンズであり、いくつかの重要な時計オークションの拠点となっている)を出て、通りの向かい側にあるロレックスのディーラー、Chronometrie Philippe Beguin(クロノメトリー・フィリップ・ベギン)に向かいました。彼の店員への要望はシンプルなものでした。
最も希少で最も高価な時計を望んだバオ・ダイ
バオ・ダイとこのRef.6062との出会いは、1954年4月、第一次インドシナ戦争終結の為の和平会議に参加する為に、スイスのジュネーブに滞在していたときのことでした。
グエン朝大南国の第13代にして最後の皇帝、当時のベトナム国国長であったバオ・ダイは、その時滞在していたといわれるフォーシーズンズ ホテル デス ベルゲスを抜け出してモンブラン通りを渡り、かつてロレックスのリテーラーとして名を馳せた名門ジュエラー、クロノメトリー フィリップ ベガンを訪れました。
一国の王として生まれ育ち、至高の審美眼を持つバオ・ダイは、その店の在庫からは気に入る時計を見つけることが出来ず、「これまでロレックスが作った時計の中で最も珍しく、最も価値のある時計を」との要望を告げ、これに応えてロレックス本社が威信をかけて用意した時計が、この特別なRef.6062であった、といわれています。
Ref.6062 バオ・ダイの希少性
ロレックスは1950年代前半にノンオイスターのRef.8171と、このオイスターケースを採用したRef.6062の2種類のトリプルカレンダームーンフェイズを備えるモデルをリリースしました。20世紀初頭の創業当初より、一貫して腕時計の信頼性向上に取り組み続けるロレックスにとって、当時のメカニズムは実用性と耐久性の面において納得がいくものではなかったようであり、1955年のデイデイト登場を待たずして短期間で製造を打ち切ったといわれています。
実際にこれら2つのムーンフェイズを備えるモデルとキリーウォッチが1950年代のうちに生産を終了後、デイデイト以上に複雑なカレンダー機構を持ち、かつロレックスの要求を満たす耐久性と実用性を併せ持つモデルの登場は、2012年のスカイドゥエラーを待たなければなりませんでした。
一説によればこのダイヤモンドインデックスがあしらわれたブラックダイヤルをフィットしたRef.6026は3本しか製造されなかったとされています。さらに、製造から60年以上が経過しているとは思えない程の理想的なコンディション、出元の確かさ、そしてそれ以上に「最後の皇帝が愛用した時計」という計り知れない付加価値を併せ持つこのRef.6062。名実共に時計史上、最も高い価値を認められた時計のひとつということが出来るでしょう。
過去最高落札価格を2度も更新する
このRef.6062は、バオ・ダイの没後5年目にあたる2002年に、彼の遺族によってフィリップスに出品されたのが初のお披露目となりました。
その時ロレックスの時計として当時最高額となる370,000スイスフラン(約3,000万円)で落札されています。その15年後となる2017年5月13日にジュネーブで開催された、フィリップスの「ザ ジュネーブ ウォッチ オークション ファイブ」に再度登場。その落札金額は驚がくの5,066,000スイスフラン(約5億7000万円)にまで駆け上り、再びロレックスの時計として最高落札金額を記録したのです。
まとめ
017年のオークションの時点で公表されていたこのRef.6062の画像を眺める限り、オリジナルのままにしか見えない文字盤の焼けはもちろん、針やインデックスの酸化もほぼ見られず、ブレスレットは多少伸びがあるようです。
ケースシェイプはオリジナルのままをほぼ保っているようであり、1950年代前半に製造され、現存するロレックスの時計として、これ以上は望めないと思われるコンディションを維持しています。
「最後の皇帝」として歴史にその名を刻んだバオ・ダイが所有していたという、計り知れない付加価値を持つこの時計は、時間の経過とともにその存在価値をさらに高めていくに違いないでしょう。