時計市場の黄金時代
第二次世界大戦後、世界は高度経済成長の時代でした。航空産業の発展やモータースポーツの興隆によって時計の新たな可能性が開拓されました。モータースポーツではより高精度でより緻密な時間計測が求められ、クロノグラフを搭載したスピードマスターやデイトナが誕生しました。航空産業では長距離航空がスタンダードとなり、2つの時間軸を表示するGMT機能を搭載したGMTマスターが登場しました。しかし、これらはラグジュアリーを意味するというよりは、あくまで機能性を追求したプロフェッショナルウォッチでありました。
1960年代の終わりころ、セイコーは最初の商用クオーツ腕時計、Seiko Astronを発売しました。これは、時計業界にとって文字通り“衝撃”でした。クォーツ時計はより安価で、より正確で、流行の最先端となりました。そして、機械式ムーブメントを備えた従来の時計は、クォーツ時計の波に押され、売上は大幅に減少しました。
高級時計ブランドが生き残るためには、真にハイエンドで、これまでとは異なる革新的な時計を作らなければなりませんでした。これはまさに、1972年に市場に登場したオーデマ・ピゲの「ロイヤルオーク」が象徴していたものです。すなわち高級ドレスウォッチの風格とスポーツウォッチの機能性を併せ持った時計であり、ラグジュアリーウォッチの歴史に新たな一ページを記した名作でありました。
ノーチラスの誕生と生みの親ジェラルド・ジェンタ
ノーチラスはウォッチデザイナー、Gerald Genta(ジェラルド・ジェンタ)の手によって1976年に誕生しました。彼は主に「ノーチラス」や「ロイヤルオーク」の生みの親として知られていますが、IWCの「インヂュニア」、ユニバーサル・ジュネーブの「ポールルーター」やオメガの「コンステレーション」の生みの親でもあります。
ノーチラスのデザインは、ジェンタがホテルのレストランで夕食をとっているときにひらめいたそうです。大西洋を横断する船の舷窓を着想として、のちに最高級ブランドのアイコンとなる時計のデザイン画は、5分で描き上げられました。舷窓というインスピレーションもあり、ジュール・ヴェルヌの有名な小説「海底二万マイル」に登場するネモ船長の潜水艦ノーチラス号に因んで、「ノーチラス」という名前が選ばれました。
オーデマ・ピゲの「ロイヤルオーク」、パテックフィリップの「ノーチラス」、IWCの「インヂュニア」には、ジェンタの意匠がはっきりと見て取れます。これらの時計は、異なるブランドのために作られたとしても、ブレスレットとの一体感、形状、時計が手首の上でどのように見えるべきかというにおいて一貫したジェンタの美学を体現した、芸術作品なのです。ノーチラスは、パテックフィリップの「スポーツウォッチ」として象徴的であるだけでなく、ゲンタの作品の一部としても象徴的です。
パテックフィリップにおける革命
パテックフィリップは主に金や貴金属製の時計を製造していました。スチール製モデルが存在したとしても、それらは試作品または特注品でありました。彼らはノーチラス以前にもクロノグラフを搭載したスポーティな時計がありましたが、本物のスポーツウォッチといえるものではありませんでした。したがって、ケースと一体化したブレスレット、大きなケース、大胆なデザインを備えた、ステンレススチールの時計を導入することは、パテックフィリップのようなクラシックなブランドにとっては革命的でした。
初代ノーチラス3700
ノーチラス3700は非常に特殊な形状と構造を持っていました。全体のフォルムは「舷窓」にインスパイアされ、象徴的な滑らかな八角形のベゼルがあり、表面はブラシ仕上げになっています。また、左右が突出したケースのデザインは、船の窓に見られる蝶番を連想させる2つの「耳」を表現しています。パテックフィリップノーチラス3700の文字盤は、この時計の大きなチャームポイントでもあります。ジェラルド・ジェンタは素材における質感の違いをデザインに活かし、光で遊んで、魅惑的な表情を生み出します。水平エンボス加工が施されたノーチラス3700の文字盤の色あいは非常に特徴的で、特に象徴的な青色文字盤は、青~群青の得も言われぬニュアンスを湛えています。
ノーチラス3700は、キャリバー920という、ジャガー・ルクルト製のムーブメントを搭載していました。この超薄型ムーブメントは、ノーチラスのケースに挿入され、「キャリバー28」と名付けられました。この直径28mmのムーブメントは2,75Hz(19,800Vph)という驚異的な振動数で時を刻み、パテック独自のジャイロマックステンプを備えています。スイス時計の伝統的な装飾も美しいです。完全に巻き上げられた状態でのパワーリザーブは40時間です。
名作として名高いノーチラス3800
1981年に発表されたノーチラス3800は初代よりも若干小さい37.5㎜になりました。針やインデックスなどがよりしっかりしたものになり、さらに軽量化された自社キャリバー330SCが搭載されました。2005年頃まで製造されていましたが、このケースのサイズ感は今のトレンドや日本人の体格にあっているということもあり、今なお注目が集まっているモデルです。
最後に
ノーチラスは1976年に、機能性と高級感を両立したスポーツウォッチとして高級時計に新風を吹き込んで以来、パテックフィリップのアイコン的な存在であり続けています。時代とともに新技術や新素材が採用されて新しいリファレンスが誕生していますが、基本的なデザインはジェラルド・ジェンタが描いたものからほとんど変わっていません。ノーチラス3800のように、中古市場で需要の高い廃盤モデルの存在は、パテックフィリップの時計がタイムレスな価値を有していることを証明しています。