日本における時計発展の歴史
日本では西暦671年(天智10年)4月25日に天智天皇が初めて漏刻(水時計)を発明したことが時計のはじまりと言われています。機械式時計においては16世紀、キリスト教の伝来とともに西欧の宣教師が日本に伝えたと言われます。その後、江戸時代には鎖国によって「不定時法」と呼ばれる、夜明けと日暮れで昼夜を分け、時間を分割する日本独自の時間軸が生まれました。鎖国が解かれ明治の時代が到来すると、文明開化とともに日本に入ってきた西洋の精度の高い時計に追い付こうと、これから後述するような時計メーカーが国産時計産業を発展させていきます。特に戦後のクオーツ時計を生み出した功績は、日本の時計製造技術の高さを世界に知らしめることとなりました。
SEIKO
SEIKOは1881年に服部金太郎によって創業した「服部時計店」がルーツの時計ブランドです。日本における時計のパイオニアとしていち早く世界に比肩する高精度な時計の数々を生み出してきました。高精度な時計を製造したいという考えのもと、1882年にマニュファクチュール「精工舎」を設立します。1895年自社初の懐中時計「タイムキーパー」を発表します。1913年には日本で初めて腕時計「ローレル」を発表します。1923年には日本を襲った関東大震災によって精工舎も甚大な被害を被るも、翌年には復興を果たし1924年に発売された腕時計にはSEIKOと刻まれるようになりました。精工舎の時計は高い精度で評価されており、鉄道時計として採用されます。
20世紀半ばに日本を荒廃させた太平洋戦争は、日本の時計界を大きく沈降・後退させた要因でもありました。日本ではSEIKOが1955年に国産で初めて自動巻き機構を搭載した「オートマチック」を発表しますが、海外では1933年にすでにロレックスが自動巻き機構の完成形といえる「パーペチュアル」を完成させています。しかしSEIKOは戦後、目まぐるしい発展を遂げ、1960年代にはスイス公認歩度検定局のクロノメーター認定に匹敵する厳密な社内基準をクリアした高精度モデル「Grand Seiko」の発表や、日本初のクロノグラフ「クラウン クロノグラフ」、国産初のダイバーズウォッチなど次々と革新的なモデルを発表していきます。
そして1969年世界に衝撃を与えた世界初のクオーツ時計「クオーツ アストロン」を発表します。クオーツ時計の誕生によって、低価格で高精度の腕時計を生産することができるようになり、瞬く間にクオーツ時計は腕時計における世界的市民権を獲得するようになりました。こうしてSEIKOは第二次世界大戦がもたらした日本の時計界の後進性を払拭するような革新を成し遂げ、その後もラグジュアリーラインの「CREDOR」や若年層向けの大衆モデル「ALBA」など、幅広い製品展開を行います。あまり知られていませんが多機能時計としても多角的なアプローチがユニークで、テレビ付きや、ポケベル付き、腕時計型コンピューターや脈拍トレーニングウォッチなどを手掛けてきた歴史があります。
CITIZEN
1918年、山﨑龜吉によってシチズンの前身である「尚工舎時計研究所」が設立されます。20世紀初頭は日本が中国やロシアとの戦争を乗り越えて、名実ともに西洋列強に追い付く勢いを見せていた時代でした。そのため近代技術の発展も目まぐるしく、時計においても世界的に精度が向上してきているタイミングであり、山﨑龜吉は国産の高精度の懐中時計を製造するという志の下に「尚工舎時計研究所」を興したのでした。1924年に同社初の懐中時計が製作され「CITIZEN」と名付けられました。これは当時の東京市長によって与えられた名で“永く広く市民に愛されるように”という想いがこめられたと言われます。CITIZENの名は1930年には社名となります。
第二次世界大戦によって日本の時計産業は停滞期となっていましたが、戦後、シチズンはミニッツリピーター(音で時間を知らせる機能)や国産初の防水時計などを開発するなどの躍進を遂げ、アメリカなど海外でも製品展開を行います。1970年代のクオーツ時計の台頭に際しては独自のレゾナント・モーターを備えた「クリストロン」を発表し、クオーツ時計の心臓部ともいえる水晶振動子は携帯電話やパソコン、自動車など幅広い分野で応用されました。現代においても、1.00mmのムーブメントとケース厚2.98mmで当時世界最薄の腕時計となった「エコ・ドライブ ワン」や、年差±1秒の超高精度ムーヴメントの開発など、高度な技術を発展し続けています。
CASIO
カシオは、もともと腕利きの職人として部品加工の下請けをしていた樫尾忠雄が1946年に創業した樫尾製作所にルーツをもつ会社です。1957年に世界ではじめて小型純電気式計算機を商品化し、カシオ計算機を設立します。その後も計算機のパイオニアとして計算機業界において世界的なシェアを誇ります。そうした精密電子機器におけるカシオのノウハウは、1970年代のクオーツ時計に端を発する時計の電子化という時宜を得ます。そうして1974年、世界で初めて閏日(=2月29日)以外の調整を必要としないオートカレンダーを搭載した電子腕時計「カシオトロン」を発売します。
その後、現在にいたるまでカシオの腕時計の代名詞となるG-SHOCKの第一号機「DW-5000C」を発表します。G-SHOCKは精密機械である腕時計に「頑強・タフ」とい新基軸を持ち込んだという点において当時革新的でありました。G-SHOCKの耐衝撃性は腕時計を中空構造にし、5段階の緩衝機構によって外的衝撃を吸収するという独自構造によるものでした。その堅牢さから消防隊やレンジャーなど、過酷な環境で働くプロフェッショナルやスポーツマン、学生など、幅広い層から支持を得ることとなります。その後も―30℃の極寒でも機能する超耐寒性や、防泥性、スマートフォンとの互換性を備えたモデルやクワッドセンサー(方位・気圧・温度・加速度を表示する)を備えたハイテクモデルなど、最新鋭の機能をそなえたマルチタスクウォッチとして、多彩な展開をみせています。
まとめ
日本三大時計メーカーと呼ばれるSEIKO(セイコー)、CITIZEN(シチズン)、CASIO(カシオ)について紹介しました。文明開化を経た日本はスイスなどの海外の高精度な時計を目の当たりにし、国内時計産業もそのような高精度な時計を生み出すことに心血を注いでいきます。第二次世界大戦によって時計産業は停滞期を迎えますが、戦後の高度経済成長期にはSEIKOが世界に先駆けてクオーツ時計を発明するなど、目を見張る革新技術を世界に見せつけました。現在においても、日本の時計造りはスイス高級時計に劣らない高精度な時計の数々を生み出し続けています。